旅館女将とダンサーという二足のわらじを履いて忙しい毎日を送る大類さん。「人生を楽しむキーワードは笑顔」と語る

 江戸時代中期の享保期に開業して300年以上の伝統を誇る栃木県日光市の「湯西川温泉 桓武平氏ゆかりの宿 揚羽~AGEHA~」の38代目女将(おかみ)になって十余年。十和田市出身の大類紀枝さん(42)は忙しい毎日を送る。

 一方で自分時間を大切にと月の半分は地元に戻り、中東地域を起源とするベリーダンスに打ち込み、心身をリフレッシュさせている。ついたキャッチフレーズが「踊る女将」。人生を楽しむキーワードは「笑顔」と言い切る。

 2010年秋、結婚を機に会社員から女将へと転身した。ようやく仕事に慣れてきたと手応えを感じ始めた11年3月、東日本大震災に見舞われる。国内は自粛ムードに包まれ、予約は全てキャンセル。客足は完全にストップした。

 「お客さまに会って、お互いに笑い合えないことが、すごくつらかった。お客さまあっての旅館業だということを実感した」

 震災を機に旅館は大々的に改装。営業再開までには半年かかった。再出発を機に大類さんは気持ちを新たにする。「お客さまから『良かった』と声をかけられるのが、実は当たり前のことではなかった。平和な暮らしがあってこそ成り立つ仕事であり、おいでいただくお客さまへの感謝の気持ちがより深まった」

 古民家風の造りが特徴の老舗旅館は「古き良き時代への時感旅行」をコンセプトにしている。新型コロナウイルス禍で客足が落ち込む中でも、いわゆる「揚羽ファン」ともいうリピーターの存在が、商売を支えてくれたと感謝する。

 自らの欠点はのめり込み過ぎてしまうことだという。かつては周囲から「仕事ばっかりして、あなたの幸せって何」と言われるような余裕のない生活を送っていた。女将となって9年目、体調を崩した大類さんは、療養のため地元に長期間帰省することを余儀なくされる。大類さんは「自分のための楽しい時間をつくることができなかった」と顧みる。

 古里で出合ったのがベリーダンスだった。地元に暮らす妹から「秋祭りで踊るのに人手が足りない」と誘われたことがきっかけになったという。元々体を動かすのは好きだった。「見てくれる人が笑顔になることでやみつきになってしまった」と振り返る。「ダンスを見ている人々の心に花が咲いたらうれしい。笑顔は幸せを運ぶ魔法ですよ」と目を輝かせる。

 「すてきな笑顔に!」をうたい文句に、「小顔ヨガ講座」の講師としての活動も今年から本格化させた。

 外から見た古里は「青森の人って優しい。控えめで穏やかな人も多い」と感じている。でも「自分なんて駄目」と、ともすれば後ろ向きな印象を与えている人も多いことが気になっている。郷土の人々に「もっと可能性があるので輝いてほしい。自分を認めて、褒めてあげられるように、けっぱれ」とエールを送る。

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 <おおるい・のりえ 1980年、十和田市生まれ。山形大学卒業後、宇都宮市内の旅行代理店や自動車部品製造会社の勤務を経て2010年10月に結婚、女将になる。18年、青森へ一時帰省し、旅館PRの情報をインターネットの交流サイト(SNS)で発信。19年にベリーダンスを始める。同年から2年間、十和田市現代美術館に勤務。20年に女将業へ復帰する>