1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)を歴代プロレス担当が振り返る第9回。バルセロナ五輪柔道銀メダルの〝元暴走王〟小川直也氏のプロ転向舞台裏を明かす。後に師匠となる猪木さんは当時、どうかかわったのか――。

【さらば燃える闘魂9】

 1997年の春。柔道の元世界王者・小川直也のプロ転向がプロレス界の話題を独占していた。前年のアトランタ五輪に出場した柔道家がいきなりリングに上がり、最強と目されたIWGPヘビー級王者・橋本真也と戦うというのだから、盛り上がらないはずがない。

 当時、メディアで報じられていた構図は、小川が明治大柔道部の先輩にあたる新日本プロレス坂口征二社長(当時)に誘われ、プロ転向を決意。だが、まだ現役だったアントニオ猪木が坂口氏から小川を〝強奪〟し、自らの門下に加えた…というものだった。このため小川vs橋本は猪木対坂口の〝代理戦争〟とまで言われていた。

 ところが「いやいや、その話は違うよ」と言い切るのは当の小川氏自身だ。どういうことか?

「オレが大学3年の時(88年)かな。トビリシ(ジョージア)で(柔道の)世界学生選手権があったんだ。会長(猪木さん)はその時、ソ連のペレストロイカの流れで、(五輪金メダルのショータ)チョチョシビリをスカウトに来ていてね。その際、オレの試合も見に来てくれてさ。その後に会長の泊まっていたホテルに連れていかれて、握手して写真を撮ってくれてね」

 小川氏によれば、実際は猪木さんによる「スカウト」だったという。当時の小川氏は92年バルセロナ五輪前で現役の無差別級世界王者だったが、猪木さんには五輪や柔道界のことなど関係ない。プロの世界に来るよう、小川氏を口説き始めたというのだ。

 とはいえ、まだ20歳。憧れの五輪に出場していないアマチュアのアスリートが動くわけがなく、小川氏のプロ転向はそれから9年後に持ち越しとなるのだが…。

「会長は『あのころからオレは才能を見抜いていたんだよ。フフフッ…』とよくおっしゃっていたね。実際、あの時、アントニオ猪木に誘われていたから〝準公務員(JRA職員)〟をやめてプロに入ったんだ。もちろん坂口先輩にもお世話になったけど、オレをプロの世界に導いてくれたのはやっぱり猪木さんなんだよ」

 2018年6月に引退を表明し、リングを去った〝元暴走王〟だが、偉大な師匠へ向けるまなざしだけは変わらない。「自分を見いだしてくれた人」との思いがあるからだ。

(元猪木担当・初山潤一)