“お騒がせオヤジ”、逝く――。歌手・倉木麻衣(37)の父で映画監督の山前五十洋(やまさき・いそみ)さんが、5日に心不全のため死去したことが分かった。76歳だった。倉木は、かつて自身の“そっくりさんAV”をリリースしようとした山前さんと絶縁状態だったが、最近では便乗商法を“黙認”。むしろ急接近し、約20年ぶりとなる“父娘対面計画”もあったという。そんなときに訃報に接した倉木は泣き崩れたという。

「昨年デビュー20周年を無事に終えて、父との再会を考えておりましたが、しっかりと心の整理ができた時に会ってお話ができればと思っていました」「ただただ残念でショックです。いろんなことがありましたが、近年ではライブを見にきていただいて、差し入れなど入れていただき、陰ながら見守っていただいていました」

 倉木は7日、所属事務所を通じて、このような追悼談話を発表したが、ファンや関係者が驚かされたのが「再会を考えておりました」との一文。それほどこの父娘の断絶は、芸能界では広く知られた事実だったからだ。

 1999年12月に鮮烈デビューを飾った倉木はその後、宇多田ヒカルとともに邦楽シーンを席巻。人気絶頂だった歌姫が、思わぬ騒動に巻き込まれたのは2001年のことだった。自身に似た女優を起用した「歌姫伝説・倉本麻衣」なるAVがリリース予定であることが判明。しかも同作でプロデューサーを務めたのが、山前さんだった。

 すぐさま大騒ぎとなり、結局発売中止に。山前さんは世間から「ダメオヤジ!」などとバッシングを浴び、のちに本人は「自分もだまされた」と釈明している。

 山前さんは俳優として、1960~61年に大ヒットした時代劇ドラマ「天馬天平」で主人公・天平を演じたこともある。仕事にのめり込みすぎたせいか離婚し、子供の親権は妻に渡っていた。デビュー半年後の00年7月に会ったのを最後に、父娘は絶縁状態に。山前さんはその後、映画監督や映像制作会社社長として、娘の抜群の知名度に乗っかる活動も展開。倉木も周囲の関係者も微妙な心境だった。

 知人によれば、山前さんは「麻衣ちゃんに会いたい…」としきりにこぼしていたという。見かねた複数の関係者が、幾度となく再会の場をつくろうと動いた。そのたびに様々な事情で頓挫したが、時が流れて倉木の心に変化が出てきたようだ。

 山前さんは、倉木の37歳の誕生日である昨年10月28日、都内で喜寿(77歳)祝いと俳優デビュー60周年記念を兼ねた会を開催。本紙が入手した告知資料では、会に出演しないにもかかわらず娘の写真もしっかり借用していた。「倉木麻衣」のクレジットを出さないあたりは愛嬌か?

 死去の5か月前まで娘の人気に乗っかっていた格好だが、倉木は“黙認”。むしろ冒頭の本人談話通り、父は娘のライブに足を運んでおり、約20年ぶりとなる対面が実現する運びになっていたというから驚かされる。

 前出の知人によれば「新型コロナウイルスが終息したタイミングで調整されていた」そうで、この知らせに山前さんは小躍りしていたという。

 だが、その矢先に力尽き、再会はかなわなかった。本紙は6日、山前さんの死去について倉木の事務所に問い合わせたところ7日に事実を認めた。

 ミステリアスな雰囲気が魅力の倉木だが、関係者によると「訃報に接して泣き崩れたそうだ」。やはり実の父娘…長年会わなくても、父の死は相当ショックだったのは間違いない。

 倉木は7日に営まれた密葬にも参列していた。前出関係者によると「冷たくなった亡きがらを前に悲嘆に暮れていた。ただ火葬後に箸で骨を拾う収骨もしたそうだ」。喜ばしいはずの再会が、つらい別れの場となってしまったが、父は草葉の陰で「やっと会えた…」と涙しているに違いない。