東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格として知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京・田園調布(大田区)の自宅で死去した。89歳だった。膵臓がんを昨年10月に再発していた。神戸市出身。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。

 亡くなった石原慎太郎さんは1999年の東京都知事選に66歳で出馬し、当選を果たした。68年に参院議員に当選以来、衆参両院で議員を務め、運輸相、環境庁長官などを歴任し、一時は首相候補ともみられていた。だが、99年の都知事選出馬には並々ならぬ覚悟で臨んだ。75年の都知事選に出馬し、美濃部亮吉都知事に敗れており、その雪辱を果たすためだった。

 当時、インタビューに答えた石原さんは政策構想を明かした。

「臨海副都心の公道を使ってモナコのようにF1グランプリをやって、周辺のビルから観戦するのはどうかと思っている。お客集めになるし、財源にもなる」

 論客の一方、暴言でも知られた。選挙戦では発言のトーンを抑えるのか聞くとこう返ってきた。「討論は慣れているから何とも思っていない。ただ、僕は暴力的なので相手が心配するかも。どんな司会者にもCM中に『逃げるなよ』と言ってしまうからね。先日も田原(総一朗)さんの番組に出た時に、後ろにいた島田紳助が僕のことを『生番組に出すのは危険』と言うので『何が危険だ!』と言ってやったよ」

 満を持して臨んだ都知事選は圧勝。その後、2012年に4期目の途中で辞職するまで務めた。