巨人・長野久義外野手(30)が29日、交際中だったテレビ朝日・下平さやかアナウンサー(42)との入籍を球団を通じて電撃発表した。衝撃の交際発覚から7年目、ついにゴールインしたビッグカップル。本紙は幸せいっぱいの背番号7へ祝福の意を込め、独身時代のマル秘エピソードを大公開。日本全国のネオン街を渡り歩いた“夜の帝王”の驚きの姿とは――。

「開幕直後の慌ただしい中、私事で恐縮しております――」。球団を通じて発表したコメントは、長野らしい、気遣いの一文から始まっていた。

 何度も破局説を報じられながら、人目を忍んでひっそりと愛を育んできた長野と下平アナ。結婚を決断したきっかけは、昨秋の入院生活だという。「さやかさんには、昨年、(右ヒジと右ヒザを)手術してからここまで苦しい時期に大きな支えになってもらいました。お互いに話し合いをし、この度結婚させていただくこととなりました」と丁寧な言葉でつづった。

 だが下平アナとの結婚は、それよりずっと以前に決意していたことだった。2人の交際が発覚したのは、プロ入り直前の2009年。ドラフトで巨人に1位指名された直後に“車チュー写真”が写真週刊誌を飾ったが、2人の出会いは、それより1年前の08年12月。共通の知人の結婚式で知り合ってから、間もなく交際がスタートした。

 巨人入団後は“失敗”を糧に、自分の恋愛事情はチームメートにも明かさない秘密主義を貫いた。2年目のある時には、原監督に監督室へ呼び出され「一緒になる気はあるのか?」と問いただされたこともある。その後も周囲に聞かれるたびにうまくはぐらかしてきた。だが、長野に結婚願望がなかったわけではない。本人は黙っていたが、ひと回り年上の有名人との結婚を周囲に受け入れてもらえないという難しい事情もあった。

 そうして球界では珍しい“事実婚関係”が続く間、下平アナは年上の女性らしく、寛容な姿勢で寄り添った。相手は球界一の“夜の男”。長野が親しい仲間と毎晩のようにネオン街へ繰り出しても、手綱を締めるようなことは一切なかった。

 一方、長野も下平アナの優しさに甘えながらも、彼女の信頼は裏切らなかった。飲食店関係者が「長野さんが“お持ち帰り”したのは見たことがない」と口を揃えるように、飲み方は紳士。過去に噂になった女優やモデルは全くの無関係か、ただの“飲み仲間”だ。

 後輩を連れて女性がいる店で飲んでも、決まって座るのは入り口近くの末席。周囲が楽しむ姿をニヤニヤ眺めながら、こっそりと会計を済ませ、いつの間にか一人で消えるのが毎度のパターンだ。仲間のために顔が利く店から女性を集めて飲むことはあっても、自分は店のカウンターに立ち、ドリンクを作り続けていたこともある。

 そんな長野がグラウンド外で真剣に怒ったのを本紙が目撃したのは、ただ一度。結婚後もなかなか子宝に恵まれないアラフォーの女性記者に、仲の良いベテラン関係者が「子づくり頑張ってる?」と軽い気持ちで言葉を発したときだ。それを聞いた長野は、相手が先輩なのも関係なく「それは冗談でも言っちゃいけない。デリカシーがありませんね」と声を荒らげて一喝した。夜遊びは確かに半端じゃないが、年上の下平アナもそんな長野の優しさにひかれたに違いない。長野は本紙のインタビューで以前、理想の結婚相手について「まずは相手のことを考えられる人。それと家事がきちんとできる人。お互いに尊敬し合える関係がいい」と語っていた。最初からその条件に当てはまる相手は、下平アナしかいなかったのだろう。挙式、披露宴は未定というが、プレーも遊びも派手な長野らしく、どうか盛大に開いていただきたいものだ。

☆ちょうの・ひさよし=1984年12月6日生まれ。佐賀県出身。180センチ、85キロ。筑陽学園高から日大に進み2006年ドラフトで日本ハムから4巡目指名されたが、巨人入りを熱望していたため入団拒否して社会人ホンダ入り。08年ドラフトではロッテが2位指名するもまたも拒否。翌09年ドラフトで巨人から1位指名されて入団。ルーキーイヤーの10年は開幕一軍を果たし、打率2割8分8厘、19本塁打で新人王を獲得した。入団2年目の11年は首位打者に。12年は最多安打のタイトルをつかむ。13年の第3回WBCでは日本代表に選出されるなど、日本を代表する外野手となった。

☆しもひら・さやか=1973年2月12日生まれ。東京都出身。早稲田大学卒業後の95年、アナウンサーとしてテレビ朝日に入社。96年からタモリとともに「ミュージックステーション」の司会を務め、一躍人気アナに。その後も「やじうまワイド」「スーパーJチャンネル」などを担当。2005年には報道局社会部と兼任したこともある。現在は「サンデースクランブル」「Live Nippon」(BS朝日)などに出演している。