近衛首相も恋の悩み「妻にしたいがどうすれば…」 学友、政治家、官僚ら関係者の証言を初刊行

2021年4月19日 11時45分
 日中戦争の勃発から太平洋戦争開戦直前までの間に3度首相を務めた近衛文麿(1891~1945年)=写真=について、政治家や官僚らの証言をまとめた「諸家しょか追憶談」を、東京都杉並区教育委員会が初めて活字化し、発刊した。証言自体はこれまでも国立国会図書館でマイクロフィルムで閲覧できたが、書籍になることで、近現代史の研究者からは「近衛の人物像を広く知ってもらう好材料」との期待の声が上がる。 (小松田健一)

 近衛文麿  旧華族で最も家格が高かった「五摂家」の一つ、近衛家に生まれる。貴族院議員、同議長を経て1937年、首相に就任。同年に日中戦争が勃発し、翌年にはあらゆる生産力を戦争遂行に振り向ける国家総動員法を制定した。第2次内閣で日独伊三国同盟締結、第3次内閣で日米関係を決定的に悪化させた南部仏印(現在のベトナム南部)進駐など、昭和史の転換点で首相を務めた。敗戦で連合国軍総司令部(GHQ)からA級戦犯に指名され、出頭期限の45年12月、服毒自殺した。

◆マイクロフィルムから活字に

 杉並区には近衛の旧宅で、日独伊提携強化の方針など、歴史的転換点となる重要な会議が行われた国史跡の「荻外荘てきがいそう」がある。

近衛文麿の邸宅だった「荻外荘」=4月7日、東京都杉並区で、本社ヘリ「おおづる」から(安江実撮影)

 追憶談の原稿は、近衛家に関する史料を収蔵する陽明文庫(京都市)にあり、国立国会図書館でマイクロフィルムが公開されていた。
 区教委の学芸員らは陽明文庫で追憶談の原稿を撮影して写真にし、2019年5月から今年3月まで2年近くをかけて文字に書き起こした。写真は819枚にも上った。手書きでくせ字も多く、判読に苦労したという。日常業務の合間を縫っての作業だった。
 気を配ったのは読みやすさ。漢字を全て新字体に改め、文中に登場する人物や歴史的事件、難解な用語には別途、説明文を添えた。サイズも持ち運びや保管に適した新書判を選んだ。

◆「聡明だけど度胸なし」

 近衛は日中戦争拡大と日米開戦を止められなかった宰相という評価が一般的だ。追憶談は、近衛内閣関係者ら近衛と親しい人物が近衛の死後に語る体裁ということもあり、多くは好意的な評価だが、陸軍軍人で第1次近衛内閣の外相を務めた宇垣一成は、聡明そうめいと評しつつ「智慧ちえは人から借りられるが度胸はどうもそうはならん」と、事に当たる際の気迫不足を嘆いている。

◆学友と語り合った箱根の一夜

 一方、近衛の学友で第1次近衛内閣の大蔵次官を務めた石渡荘太郎いしわたそうたろうは、高校時代に箱根へ誘われ、妻にしたい女性がいるがどうすれば良いかという相談を受け、一晩中語り合った思い出を語っている。
 登場するのは、若槻礼次郎、吉田茂ら政治家や、官僚、実業家、ジャーナリストなど21人。聞き取りは最も早い人で近衛の死去直後の1946年1月と、当事者の記憶が鮮明な時期に行われている。

刊行に携わった「諸家追憶談」について話す杉並区教育委員会生涯学習推進課長の本橋宏己さん=4月7日、東京都杉並区で(由木直子撮影)

 区教委生涯学習推進課長の本橋宏己さん(61)は「当時の政治状況や近衛の人となりを知ることができる史料。分かりやすい形で提供したいと考えた」と話す。

◆売り上げは荻外荘の整備費に

 今回の刊行は、荻外荘の整備を後押しする狙いもある。戦後に建物の一部が豊島区に移築された。杉並区は建物を再移築し、2024年度中に公開する方針で、売り上げはそのための整備費に充てる。
 価格は800円。区役所区政資料室と区立郷土博物館などで販売し、郵送対応もする。詳細は区のホームページに掲載しており「荻外荘の刊行物」で検索を。
◆古川隆久日本大学教授(日本近現代史)の話 近衛が亡くなった直後の追憶談のため、近衛を美化する面があることは否めないが、近衛の複雑な人間性をほうふつとさせるエピソードも多い。近衛の人物像はもちろん、敗戦直後という時代の雰囲気もうかがえる点で史料としての価値がある。読みやすく、歴史読み物としても楽しめる。

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