渡部恒三さん死去 元衆院副議長

2020年8月25日 08時46分
 元衆院副議長で民主党最高顧問などを務めた渡部恒三(わたなべこうぞう)さんが二十三日午前二時ごろ、福島県会津若松市内の病院で死去した。八十八歳。福島県出身。葬儀は近親者のみによる密葬とし、後日お別れの会を開く方向。
 一九六九年に衆院に初当選し、自治相や通産相などを歴任。小渕恵三元首相や橋本龍太郎元首相、小沢一郎氏らと共に、自民党竹下派の「七奉行」の一人として地歩を固めた。新進党などを経て二〇〇五年、民主党に入党。「政界の水戸黄門」を自称し、ご意見番として存在感を発揮した。
 九三年、宮沢内閣不信任決議案に賛成し、自民党を離党。非自民の細川連立政権を支える新生党に参加するなど当選同期の小沢氏と長年、政治行動を共にしたが、九七年の新進党解党に際し、たもとを分かった。
 新進党時代の九六年に衆院副議長に就き、〇三年まで通算七年近く務めた。在任期間は歴代最長。偽メール事件が起きた〇六年には事態収拾のため、民主党国対委員長に就任した。
 自由党から民主党に合流した小沢氏に距離を置いた野田佳彦、岡田克也、前原誠司、枝野幸男各氏ら七人を「民主党七奉行」と名付け、反小沢系グループの後ろ盾となった。
 小沢氏とは誕生日が同じで、一一年の合同誕生会で「私に何かあったら弔辞は小沢さんにお願いしたい」と語るなど飾らない人柄で、福島弁の演説には人気があった。衆院当選十四回。一二年の衆院選に出馬せず、引退した。

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