鳥山明さんとの出会いを鳥嶋和彦さんが語る Dr.マシリトは「いちばん嫌いなやつを描いてこい」で誕生

2024年3月8日 21時28分
 1日に死去した漫画家鳥山明さんは、集英社「週刊少年ジャンプ」に「Dr.スランプ」で連載デビューし、世界的な人気漫画となった「ドランゴンボール」でジャンプの絶頂期を支えました。鳥山さんの才能を見出し、作品を世に送り出したジャンプの元編集者、鳥嶋和彦さんの2017年のインタビューを再掲します。後半では、紙面には収まりきらなかったエピソードもあったインタビューを一問一答形式で紹介します。(記事は2017年10月1日東京新聞朝刊掲載、年齢・肩書はいずれも当時)

◆「僕も新人、彼も新人」だった

 名作誕生の陰には新人を発掘し育てた編集者の存在がある。中でも「伝説の編集者」として知られるのが鳥嶋和彦さん(64)=現白泉社社長=だ。(森本智之)

漫画家の鳥山明さんを担当していた編集者時代を振り返る白泉社の鳥嶋和彦社長(2017年撮影、肩書は当時)

  入社間もない20代半ばのころ、400を超える月例新人賞の応募作から、後に653万部達成の原動力となる鳥山明さんを見いだした。賞にかすりもしなかった作品にセンスを感じ取った鳥嶋さんは一から指導。80年「Dr.スランプ」で連載デビューを果たしたとき、ボツ原稿は直前の1年間だけで500枚に及んだ。
 「僕も新人、彼も新人。2人が納得するまで500枚かかったということです。作家は描きたいものを描きたいと言います。でも、編集者は作家の良さを引っ張り出してあげないと。僕らは作家の人生も背負ってるわけですから」

◆「才能は新人の中にいる」信念に

  鳥嶋さんは「ボツ」が口癖の鬼編集者として鳥山さんの作品にも登場。Dr.スランプでは悪の科学者マシリトのモデルとして描かれた。96年、低迷打破の切り札として、鳥嶋さんは編集長に就任する。
 「打開策は新人の新連載しかないんです。それがジャンプだから。だけどプレッシャーがかかるとなかなか打てない。どうしても名前のある作家に頼みたくなる。でもそれじゃあパチンコ店の新装開店です。読者にしたら代わり映えしないんです」
  前任者が残していった10件弱の企画を全てボツに。中には作家宮部みゆきさんの原作漫画案もあったが、編集部員にハッパを掛けるためだった。この間、1週間に50万部減ったこともあったという。そして1年後に「ワンピース」が登場する。後にコミックの累計発行部数が3億部を超え、ギネス認定される作品だ。実は連載開始を決める編集会議はもめにもめた。
 「他の連載はあっさり決まったのにワンピースをどうするかで2時間はもめました。可能性はある、でも未完成だと。僕も反対した。でも若い担当編集者がうざいくらい熱心で、彼のデスク(上司)が『ここで見送ったら作家も編集もつぶれる』と。そこまで言うならやろうと決めました」
  最終的には編集者の熱意に懸けた。ふたを開けてみると、初回がいきなり読者アンケートで1位を獲得。看板作品になった。
 「失敗を覚悟で新人を打席に立たせ続ける覚悟が監督にあるのか。ワンピースはもう20年もトップ。たたき落とす漫画を発掘してほしい。その才能は新人の中にいる。だから編集者は面白いんですよ」
 
   ◇   ◇
 週刊少年ジャンプ(集英社)の編集者として鳥山明さんを見いだした鳥嶋和彦さんへの2017年の取材メモから、当時原稿に盛り込めなかった鳥山さんとのエピソードをまとめました。

◆原稿を見て、僕が担当したいと手を挙げた

 Q 鳥山明さんとの出会いは?
 A 週刊少年ジャンプは月例漫画賞がある。鳥山さんはもともと働いていた会社を辞めて、親の手前、就職しないといけなかった。絵が好きで「漫画家かイラストレーターか」と考えていた時、地元の名古屋の喫茶店で漫画賞の応募を見て、応募した。最初に広告を見たのはマガジンだったらしいけど、漫画を描き上げると、締め切りを過ぎていた。ジャンプは毎月漫画賞をやっていたから、ジャンプに投稿した。
 僕は当時、入社したばかりで、新人投稿の担当だった。当時は3〜4人で1チームをつくり、4チームが順番に選考する。僕は一番下っ端なんで、月に400位来る作品を片っ端から読む。彼の作品はスターウォーズのパロディで。パロディは受賞できないから、落選したんだけど、彼の原稿を見て、僕が担当したいと手を挙げた。
 Q 何が良かった?
 A
 絵がうまいのもあるけど、書き文字のレタリングが凄くきれいでセンスがあった。あとね、原稿がきれいだった。原稿がきれいな人は描くのも早い。原稿が汚い人は1枚に時間をかける。手あかや直しで汚い。彼の原稿はそれがほとんどなかった。
 Q ストーリーは?
 A
 おもしろかった。でも、後から考えてみると、一番印象に残っているのは原稿がきれいなことですね。

◆鳥山さんは負けず嫌いで、仕事が早い

 Q 将来は名作家になると思った?
 A
 うーん、実際、彼に会って打ち合わせを始めてからは、連載まではいくだろうなと思った。負けず嫌いで、仕事が早い。割り切りもある。彼はネーム(下書き)の段階でも、迷わないんです。週刊誌ですからだいたい5日で原稿を仕上げないといけない。2日でネーム、3日で原稿のペースじゃないと続かない。週刊誌連載を続けるには、頭の良さと精神的にタフじゃないと。彼は最初からそれができましたね。
 Q 出世作の「Dr.スランプ アラレちゃん」までにボツを大量に出したそうですね。
 A
 うん、500枚くらいね。創っていって、ここを直してって。僕も新人、彼も新人。2人でやりとりしながら漫画を創っていかないといけない。その過程で、2人が納得いく作品が描けるまでに500枚かかったということですね。でも、彼も言ってますけど、500枚も書いたと思わなかったでしょ。「ああ気がついてみればそのくらい描いていた」って感じじゃないかな。
 彼はそれでも締め切りは守りますからね。プロの仕事は全部数字がついてきますからね。ページ数、締め切り、原稿料、読者の評価。数字を気にして仕事できないのはアマチュアですよ。
 Q アラレちゃんの連載開始前に、まず、読み切り作品の「ワンダーアイランド」で1978年にデビューしましたね。
 A
 最初は読んでもピンとこなかった。読者アンケートもダントツのビリですよ。票数26票だけだから。そのころですね、鳥山さんが「Dr.スランプ」のネームをつくってきた。最初彼は(主人公の女の子のロボットの)アラレは1話しか出さない予定だった。僕は「アラレを主人公にしろ」と言ったら、彼は「イヤだ」と言った。主人公は「則巻千兵衛(のりまきせんべい=アラレをつくった自称天才博士)」だと。
 「じゃあ賭けをしよう」と言った。彼は負けず嫌いだから乗ってくるだろうと思った。彼がその時準備していた、女の子が主人公の新しい読み切り(「ギャル刑事=でか=トマト」)が読者アンケートで3位以内に入ったら、俺の言うことを聞けと。まだ無名に近い新人ですからね。ワンダーアイランドは最下位だったし、厳しいハードルでした。でも絶対取ると思った。
 Q そこまでして編集者の意思を通したのはなぜ?
 A
 やっぱり、漫画家は自分が描きたいものを描くんです。でも、編集者は最初の読者。読んだ時の感覚で、世の中に通じるかを判断できないといけない。(「ギャル刑事トマト」の単行本を開きながら)ここにあります。おっさんのキャラばっかり出でくる中で、このちょっと出てくる天使が可愛かった。この女の子が描けるのが分かっていたから。これをメインに持ってきたかった。編集者は作家が気付かない作家の良さを感じて引っ張り出してあげないと。

◆Dr.スランプは半年で「もうやめたい」

 Q Dr.スランプでは、悪の科学者Dr.マシリトのモデルになりました。
 A
 マッドサイエンティストの回があり、インパクトがなくてボツにした。僕が「お前のいちばん嫌いなやつ、嫌な奴を描いてこい」と言ったら、僕の顔を描いてきた。
 Q ご本人としてははアリなんですか?
 A
 いやー、無しだよ。でも締め切りギリギリで直す時間がなかった。しかもねえ、困ったことに読者アンケートでその回の人気が良かった。そうなるともう編集としてやめろとは言えないわけだ。
 Q 鳥山さん流の愛情表現では?
 A
 さあ、作家はそんなに単純じゃないよ。
 Q 「ドラゴンボール」の制作秘話は?
 A
 Dr.スランプは開始半年で、「もうやめたい」と言い出した。人気絶頂の時ですよ。「描いていてつらい」と。ギャグ漫画は(一話ごとにエピソードが完結する)読み切りが毎回だから。「違う漫画をやりたい」と。でもやめられるわけないよね。編集長に言ったら、「スランプより人気が取れそうな漫画が描けたら、やめてもいい」。それで、連載しながら、(次の連載のお試しとして)読み切りもやった。並行してやるのは大変だったけど、それでもやり続けた。よほどやめたかったんだろう。
 彼も僕も「Dr.スランプ」で成功しているから自信はあった。かなり緻密な打ち合わせもした。でも読み切りは、全く受けなかった。
 Q 意外です。既にヒットメーカーなのに?
 A
 ジャンプのメーン読者は小中学生だから厳しい。大人みたいにブランドで読まない。それで万策尽きて、愛知の鳥山さんの所へ直接会いに行った。でもその日の打ち合わせもうまくいかない。で、奥さんがお茶出してくれた。「うちの旦那は変わっている」と言う。普通漫画家は音楽聞きながらペン入れするんだけど、「うちの旦那はビデオデッキで映画をかけながら見ている」。「セリフを聞きながら見たいシーンがかかると顔を上げて見る」と。
 つまり、セリフ聞いただけで見たいシーンが分かるってことです。「そんな風になるまで何回くらい見ているの?」って聞いたら「50回は見てる」。それが、ジャッキー・チェンのカンフー映画。「そんなに好きなら」と描いたのが「騎竜少年(ドラゴンボーイ)」。ダントツ1位。で、もう1話描いた。またダントツ1位。これで人気確定。ドラゴンボールの原型ができた。これをさらに連載用に仕上げていった。
 Q ところで、人気絶頂でもボツは出すんですか?
 A
 うん。出しますよ。
 Q でも週刊連載だから5日で1本描くんですよね。
 A
 それとこれとは別。必ず毎週毎回、それがおもしろいかどうか判断してダメならボツを出す。つまらなかったら、出せない。彼も納得していると思う。
 Q 原稿が落ちたことは?
 A
 1回もない。最初に彼と約束して、1回でも落ちたら、東京に来ることになっていた。彼は東京に来たくなかったから。ずっと地元の愛知で描いてたんですよね。やりとりは基本的に電話とファクス。でも、ファクス使うようになったのも途中からだね。
 ファクスが普及する前からの連載だから、原稿を羽田空港まで空港便で送ってもらって、車を飛ばして取りに行ったこともありました。それでも落としたことはない。彼はよく言っていたが、「自分の原稿が遅れるといろんなところに迷惑がかかる」と。製版所とか。「社会人を経験しているから分かるんだ」と。

◆ドラゴンボールの「打ち切り危機」

 Q ドラゴンボールはずっと順調だったんですか?
 A
 いや、それが最初は良かったんだけど、順調じゃなかった。Dr.スランプの作家なので最初は色ページが付いていた。ところがそれがなくなってくると、じりじりと人気が落ちてくるわけです。このままじゃまずいなと。読者アンケートで10位くらいまで落ちて、このままだと連載打ち切りだと。
 彼と話をして、「主人公がやっぱりぱっとしない」「生きていないね」と。で「(主人公の)孫悟空ってどういうキャラクターなの?何をしたい奴なの?作品のテーマって何なの?」と徹底的にディスカッションした。ひと言でいうと「悟空は『強くなりたい』というキャラクターだろ」と。ライバルと切磋琢磨して、その後に武闘家ナンバーワンを決める「天下一武道会」を設定した。
 Q 結構序盤ですね。
 A
 そうです。ジャンプって10週ごとに新連載を打つんです。伝統的にそうやって血の入れ替えを図ってきた。だから新連載でも6週目、7週目くらいのデータが悪いと打ち切って新しい作品に取って代わられちゃう。
 Q ドラゴンボールのその後は?
 A
 天下一武道会編が始まって数週して読者アンケートでトップになって、そこで「北斗の拳」を抜いた。その後、ほとんどずっとトップですね。ごく何回かは抜かれているけど、ほとんど。
 Q しつこくてすいませんが、その間もボツは出してる?
 A
 ずっとやってますよ。編集者は最初の読者。作家に状況を知らせて、外の風を当てていかないと、くさっちゃうんです。

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