追悼 谷村新司さんから教わった人生という山の「下り方」

2023年12月26日 03時00分
 今年最後となったスポーツ探偵・取材余話。今回はどうしてもこの人について書いておきたい。10月に亡くなった歌手の谷村新司さん。以前、名曲「チャンピオン」のモデルが元プロボクサーのカシアス内藤さんだったという話を書いたが、あの時、紙面の都合で書き切れなかったインタビューをお届けする。(谷野哲郎)

◆ご縁を大切に

 取材が行われたのは、2022年9月のことだった。谷村さんはテレビで見る姿と同じように、優しく、丁寧な口調で答えてくれた。作家の沢木耕太郎さんにジムの見学に誘ってもらったこと、そこで練習するカシアス内藤さんを見て「チャンピオン」を思い付いたこと、帰宅して一気に書き上げたことなどを教えてくれた。
 インタビューの最中、何度も口にしたのが「ご縁」という言葉だった。
 「あの曲は心を込めて作った曲なので、ヒットしたのはうれしいのですが、それは沢木さんがくれたご縁、カシアスと出会えたご縁が良かったのであって、それをたまたま、僕が曲にしたということ。本当によいご縁をいただきました」
 人との縁を大切にしている姿が印象的だった。

今年10月に74歳で亡くなった谷村新司さん

◆命って永遠じゃないんだ

 「チャンピオン」は、年老いたボクサーが若く勢いのあるボクサーに負けて、リングを去る物語。スポーツの世界の厳しさを歌った曲だが、もう少し深い意味があった。
 「お気づきかもしれないですが、これってスポーツだけではなくて、不変のことなんですね。どんな人だって、人生のピークがあって、それを過ぎたとき、自分の気持ちや体とどう折り合いを付けていくのか、それを考える時期が必ず来るんです」
 「若いときは人ごとのように思うのですが、ある程度の年齢になって、体のあちこちにいろいろなことが起きてくると、そのとき、『あ、命って永遠じゃないんだ』って気付く。僕は30歳前後に体を壊して入院したことがあるので、命に限りがあるとか、人生の隆盛とか、そういうのに向き合った作品を作りたかったんです」
 代表作となった自らの曲をこう解説してくれた。

アリス時代の谷村さん㊥。左が堀内孝雄さん、右が矢沢透さん

◆頑なになるより、より柔らかく

 限りのある命という説明に心が揺れた。当時、記者は50代中盤。定年が近づき、先が見えてきた人生に迷いや不安を感じていた。そのことを素直に伝えると、谷村さんはこう言った。
 「『チャンピオン』もそうですが、人生を山に例えると、登るときではなく、下山するときが大事なんですね。登っていくときは勢いに任せればいいのだけど、そこから下りていくときには、自分の心にちゃんと折り合いを付けていかなくてはならない。それは人生の、特に男性には、大きなテーマになるんじゃないでしょうか」
 思わず、質問を重ねていた。
 ―仕事もあと何年できるかわからないし、体力も落ちる一方で、最近、上手に人生の着地をしたいと考えるようになりました。そのためには、どんなふうに考えたらいいのでしょう?
 「これはね、みんな通る道なんです。誰でも年を取ると体力も落ちて、いろいろなことが起きる。それに対する心構えで一番素敵(すてき)なのは、頑(かたく)なになるより、より柔らかくなっていく方がいいんじゃないかなって気がしますね。それと、人と比べないことだと思います」

アリスのサヨナラコンサートで歌う谷村さん㊨=1981年、後楽園球場で

◆人と比べないこと

 ―「チャンピオン」のように、勢いのある若者がうらやましく見えたり、自分だってまだまだやれる、仕事で負けたくないと思ったりします。
 「すごくよくわかります。あのね、人と比べない気持ちになるって結構、時間がかかるんですよ。何々に比べて自分はこうっていうのは、なかなか答えにならない話なので。でも、そこを一歩突き抜けると、他の人の活躍に対してよかったねって拍手をしてあげられる、応援してあげられるようになるはずです」
 ―考えてみれば、会社に入ってからは、人と比べられ、競争の連続でした。
 「そうですよね。でも、さっき言ったように考えていければ、自分にとってすごくプラスになるんじゃないかと思うんです。例えば、若い人の活躍が刺激になって、自分もまた違った切り口でチャレンジしてみようかなと思えたりするので。僕はね、よく言うんですよ。他人を自分の思うように変えることは大変だけど、自分を変えていくことは自分ならできるよって」
 そう言うと、谷村さんは「誰かと比べてしまう気持ち、僕もよくわかります。男性は特にそういう癖が強いですよね」と笑った。

アリスのメンバーと記者会見で笑顔を見せる谷村さん㊥=2013年、東京都内で

◆そうじゃない生き方

 いつも自然体で、他人をうらやむことなどなさそうな谷村さんが、そんな悩みを持っていたとは思いもしなかった。
 ―谷村さんも同じように考えていたんですか?
 「僕はちょうど、『チャンピオン』を作っていたころにそういうふうに思っていたんです。そのとき、そうじゃない、そっちに行かない生き方をしたいなって思ったんです」
 「作品って一つ一ついろいろな思いを込めて作るのですが、時代の流れとかタイミングで、結果としてヒットするかしないかっていうのが出てくる。僕はそういうのにあまり左右されない生き方をしたいと思って曲を作っていました」
 人と競い合って評価を得ることへの疑問、中身より数字を求める風潮。それらに縛られて、自分のやりたいことを見失ってはいけない。競争の激しい音楽界で歌い続けた谷村さんだからこそ、たどり着いた考えなのだろう。いくら考えても見つけられなかった答えがそこにあった。

ラジオ番組でも活躍した谷村さん㊧。右はさだまさしさん=1982年

◆一期一会

 こうして取材は終わった。頑なにならず、柔らかく生きること。人と比べないこと。そうじゃない生き方を選ぶこと。谷村さんから教わった、人生という山の下り方は、その後の自分の指針となった。
 谷村さんと交わした最後の言葉が忘れられない。
 ―ありがとうございました。アドバイス、大切にさせてもらいます。
 「こちらこそ、ありがとうございました。最初にお話ししましたが、こうやってお話しすること自体がご縁なんです。もし、また何かに悩んだら、さっきの言葉を思い出してください。多分、気持ちが楽になると思います」
 初対面の記者に対しても、親切にしてくれた谷村さんはもういない。自分にできることがあるなら、あのときの話を記事にして残すことくらいだと思った。もし、この記事を読んで、何かを感じてくれた人がいたとしたら、それも谷村さんがくれた縁なのだろう。
 「年を重ねていくと、一つの縁が、まさに一期一会だったんだなと感じるようになるものです」
 一期一会の意味を教えてくれた谷村さん。逝去が惜しまれてならない。

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