降ってわいた「江戸城天守閣」の再建ばなし 政治家たちが何かと「城」を持ち出したくなる心理を考えた

2023年11月17日 12時00分
 江戸時代に焼失した江戸城天守閣の再建に、菅義偉前首相が言及した。かねて賛否がある東京の懸案事項だが、今回は直近まで内閣総理大臣を務めた人物の発言。どんな思惑があるのか、タイミングも含めて臆測を呼んでいる。政治家が前のめりの城は他の地方にも。コロナ明けのインバウンド(訪日客)ブームとはいえ、為政者が心引かれるのはなぜなのか。(西田直晃、安藤恭子)

◆菅義偉元首相が「大きな方向性と世論を」と発言

 菅氏が天守閣再建に触れたのは、12日のフジテレビ「日曜報道 THE PRIME」。番組ホームページによると、「なかなか簡単ではない」と慎重な姿勢も示しつつ、「推進するためには大きな方向性と世論をつくらなければならない」と再建への道筋を示した。
 江戸城の天守閣は50年間だけ存在した。千代田区観光協会によると、徳川家康が江戸幕府を開いた直後の1607年に完成。将軍交代のたびに2回築き直されたが、57年の明暦の大火で焼失した。経済的理由などで再建は見送られ、現在は皇居東御苑に高さ約11メートルの石垣の台座(天守台)だけが残る。

菅義偉氏(資料写真)

 再建話は今に始まったわけではない。民間有志はNPO法人「江戸城天守を再建する会」を2004年に設立。これまでに江戸城跡の案内ツアーを企画したり、天守閣再建の経済効果を試算するなどしてきた。昨年から衆参両院への請願署名も募り、現時点で約6000筆が集まっている。
 12年には、都知事選に出馬した松沢成文・現参院議員が、外国人観光客誘致のため寄付金による復元を公約に掲げた。
 今回、菅氏は設計図の存在を念頭に発言した。実際に復元する場合には、具体的にどう計画が進むのか。

◆手続きや費用はまったく不明

 再建する会の浅井純一事務長によると、当時の棟梁とうりょうが残した図面「建地割図」をもとに、城郭研究の権威として知られる三浦正幸・広島大名誉教授が手順を検討した報告書を16年に作成している。外観は国産の木材を活用し、元通りの総木造で復元。内部に消防設備やエレベーターを取り付ける。工期は未定だが、「木を伐採し、材木を乾かすのに5年間必要。それなりの年数がかかるだろう」(浅井さん)という。
 とはいえ、課題も多い。天守台が残る東御苑は皇室用財産のため、法改正や国の特別な許可が必要になる可能性が高い。再建する場合はどんな手続きが取られるのか。所管する宮内庁報道室は「民間有志の運動で復元されるのか、政府の観光施策として決まるのか、前提が分からないので答えようがない」とコメントした。

皇居東御苑にある江戸城の天守台=16日、東京都千代田区

 費用も見通せない。再建する会によると、10年前の専門家の試算で約350億円と推計されたが、浅井さんは「材質や工法などでかなり異なってくる。名古屋城の木造復元の事業費が約500億円。その程度はかかると言う人もいる」と説明する。財源について寄付金でまかなうのか、税金が投じられるのかなど、不透明な部分も多い。
 こうした事情も影響してか、X(旧ツイッター)で「大阪万博が大失敗しているのに」「この不況の中、そんなものを作る必要などない!」といった投稿が目立っている。16日昼、江戸城天守台の周辺を観光していた山田良恵さん(68)は「天守閣がなくても特に気にならない。お金がそれほどかからなければ、復元してもいいとは思うけど」と話した。

◆官房長官時代には否定していたのに…なぜ?

 江戸城天守閣を巡っては、2017年の天皇の退位等に関する参院特別委員会で松沢氏が「皇居東御苑の御下賜をいただいて、恩賜公園あるいは城址公園として国又は東京都が整備を」と質問している。当時官房長官を務めていた菅氏は「皇居の一部分を成している地域」「皇室用財産としての供用を見直すことは当面考え難い」と答弁で否定していた。
 その菅氏が、今回再建を口にした意図は何なのか。今年10月にテレビ番組で共演したジャーナリストの鈴木哲夫さんは、カジノ解禁を含む統合型リゾート施設(IR)に触れて「IRもそうだがインバウンドは、菅氏がこだわってきた『一丁目一番地』。首相時代はコロナ禍で十分に果たせなかった政策だが、そのための江戸城再建なら、言及してもおかしくはない」と受け止める。

◆「ポスト岸田」候補と連携した動きなのか

 菅氏はこのところ積極的に発言している。一般ドライバーが有償で乗客を送迎する「ライドシェア」の解禁もその一つ。8月の長野市の講演で、インバウンド急回復でタクシー不足が深刻化している実情を「現実問題として足りない。いろいろな観光地で悲鳴を上げている」と訴え、議論に火を付けた。

小泉進次郎氏(資料写真)

 岸田文雄首相も10月の臨時国会の所信表明演説で「ライドシェアの課題に取り組む」と言及。今月22日には導入に関する超党派勉強会の初会合が開かれる予定で、会長には菅氏と同じ神奈川選出の小泉進次郎元環境相が就任する見通しという。鈴木さんは「岸田政権の支持率が低迷する中、首相退陣後は発言を控えてきた菅氏が動き出した。河野太郎氏や石破茂氏といった『ポスト岸田』候補とも連携し、自分がやり残したことと政局の双方をにらんだ動きだ」とみる。

◆そういえば名古屋城にも復元の動きが

 政治が進める天守閣再建。建築エコノミストの森山高至さんは、明治初期の廃城令で城が多数取り壊された経緯に触れ、「再建したいという気持ち自体はあって良いものだと思うが、地域の総意があってこそだ」と受け止める。
 ただし江戸城の場合、幕閣重臣の保科正之が明暦の大火で疲弊した庶民の救済や災害復旧を優先すべきだと主張した後、そのまま天守が建てられることはなかった。「むしろ江戸城に天守がないことこそが平和な時代の民生安定の象徴。インバウンドには、建てない判断をした徳川幕府と東京の歴史を伝えた方が良いのでは」と提案する。

木造天守閣復元が計画されている名古屋城=3月、名古屋市中区で、本社ヘリ「まなづる」から

 天守閣といえば、名古屋城の復元計画も揺れている。名古屋市は6月に木造復元の基本計画を文化庁に提出する予定だったが、直前にあった市主催の市民討論会で、車いす利用者が天守閣上層階まで昇降機設置を求めたところ、参加者から「ずうずうしい」「おまえが我慢せい」などと差別する発言が上がった。河村たかし市長含め市側もその場で制止しなかったことが問題となり、計画の策定は止まっている。
 駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「城というのは、ナショナリズムや地域愛を起こさせるふわっとした統合のシンボルでもあり、政治家がこだわるのは分かる。再建自体に反対する人はあまりいないだろうが、名古屋城の場合、障害者への配慮、多様性の尊重といったリベラルな価値観とぶつかった途端に、問題化した」とみる。菅氏の本気度は見えていないとしつつ、こう話す。
 「江戸城再建の提案自体は右派層の反応が良いだろうし、前首相として耳目を集めることもできる。ウクライナ、パレスチナの戦争や国際対立で日本の安全保障政策も問われる中、一見牧歌的な話と思えるが、為政者からすれば、厳しい現実から国民の目をそらせ、都合の良い提案だ」

◆デスクメモ

 江戸時代から残る国宝・姫路城の天守閣は、米軍の空襲でも無事だった。市街地は焼け野原になったが、変わらぬ白鷺城の姿が戦後の市民を元気づけた。時代劇の江戸城にも使われる景観は、世界文化遺産にも指定されている。大勢の外国人観光客も、その歴史を見に来るのだろう。(本)

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