「性加害に耐えなければデビューできない」…V6メンバー入りが幻に 元ジャニーズJr.木村伸一さんの告白

2023年9月28日 06時00分
 ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題で、被害を訴える元ジャニーズJr.(ジュニア)で「ジャニーズ性加害問題当事者の会」メンバーの木村伸一さん(46)が取材に応じた。アイドルグループ「V6」のメンバー入りを打診されながら、ジャニー氏からの性行為を拒否した後、デビューのメンバーから外されたという。「当時は『性行為を受け入れられなかったからデビューできなかった。自分の責任』と自分を責め続けた」と打ち明けた。(望月衣塑子)

◆履歴書を見たジャニー氏がたびたび電話

 木村さんの父親は2度にわたり事業を失敗。1度目は小学6年の時だった。木村さんは中学時代は朝夕、新聞配達をして家計を支えた。高校に入ると、父親が新たな仕事を始めたため、自分のバイクを買おうとガソリンスタンドとファストフード店のバイトを掛け持ちした。

「子どもが夢を持てる世界にしてほしい」と語る木村伸一さん=9月、Zoomで

 高校2年の夏、父親が事業を再び失敗し、破産。バイトでためた70、80万円を母親に手渡した。「夜の仕事の方が時給がいい」と友人から聞き、夕方はファストフード店、夜はカラオケ店で働いた。月20万円ほど稼いだが、ほとんどを家計の足しにした。
 ちょうどそのころ、親類が木村さんに内緒で事務所に応募していた。履歴書を見たジャニー氏は半年にわたり何度も自宅に電話をかけてきたが、母親は事務所のことを全く知らず、電話をつながなかったという。

◆「YOUは絶対スターになれる」

 高校3年だった1995年1月、一つ年上の姉が電話に出て「ジャニー氏と言えば、事務所の社長だ」と、木村さんのバイト先のファストフード店の連絡先を伝えた。ジャニー氏から連絡を受けた店長に「すぐに行ったほうがいい」と促され、「KinKi Kids」のコンサートが行われていた地元・大阪で、ジャニー氏と初めて会った。

55歳時のジャニー喜多川氏(右)=提供写真

 「YOU、ださいね」。当時流行のスーツとスラックスを着ていたが、ジャニー氏の第一声はこれだった。
 「YOUは、顔がいいから絶対スターになれる。ソロで秋口にデビューさせたい」と口説かれた。当時、テレビはほとんど見ておらず、「光GENJI」の名前が分かるくらいでアイドルに全く興味がなかった。
 父親の事業失敗でそれどころでなく、就職も決まっていると断ったが、ジャニー氏は「学費は全部出す。東京に来てアルバイトできない時は、その分は全部払うから、秋のデビューまで専門学校に入ってはどうか」と諦めなかった。
 3日後、いろいろ悩んでジャニー氏に電話し、渡されていた新幹線のグリーン車のチケットで東京に向かった。公衆電話から連絡すると、ジャニー氏は白の高級車で迎えに来て六本木の高級マンションに向かった。
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