筑波山がまの油売り口上 土浦の「名人」林さん 「発表の場」慰問再開を心待ち コロナ禍で依頼途絶える

2023年9月13日 08時00分

「芸は身を助く。口上は子どもたちの学びにもなる」と話す林正一さん=土浦市で

 筑波山のがまの油売り口上歴57年の林正一(まさいち)さん(71)=茨城県土浦市=は、口上を後世に伝えようと2000年に立ち上げた研究会の会員約70人とともに練習を続けている。だが新型コロナ禍で高齢者福祉施設などへの慰問活動が今もできない。「慰問は発表の場です。喜ぶ顔を見ると、会員のやりがいになる」と、施設から招きが来る日を待ち望む。(青木孝行)
 「サァーサァーお立ち会い、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで」。巧みな言い回しで人をひきつけ、質問のいとまを与えない。十数分の口上で足を止めた人との駆け引きが勝負だ。
 早朝に練習し、「腹の底から発声し、喉を鍛えている」(林さん)と、次第にドスの利いた声色になっていくという。がまの油とは、ガマガエルの分泌液を原料にした傷口を癒やす軟こう剤のことだ。
 林さんは旧新治村(土浦市)で生まれ育った。中学2年の時に、イベントで油売り口上の第18代永井兵助こと、岡野寛人さん(故人)と出会い、指導を受けた。1973年と74年の「全国ガマの油売り口上コンクール」では2年連続で優勝。その後、旧筑波町長(つくば市)から「名人位」を授与された。
 口上で生計を立てることはしなかった。高校卒業後に新治村役場の、合併後には土浦市役所の職員に。「地域振興のために」と公務員の道を選んだ。「足らぬ足らぬは知恵が足らぬ」を信条に、口上を観光資源として全国に広め、誘客に努めた。

研究会を設立した当時、がまの油売りの口上を披露する林さん=2000年ごろ撮影、本人提供

 林さんによると、がまの油売り口上は関西地方が発祥で「明治、大正時代の落語に筑波山が登場したことで、戦後に地元で広まった」という。後世に伝えていく取り組みとして2000年に「筑波山がまの油売り口上研究会」(がま研)を設立。会員らは「水戸教室」(那珂市)、「つくばね会」(常総市)、「小町塾」(土浦市)の3会場で月1回の練習をしながら交流している。
 今春の新型コロナの行動制限緩和で、観光イベントへの依頼は来るようになったが、年間延べ200回ほどあった福祉施設などへの慰問は再開が見通せないままだ。林さんは「慰問は社会への恩返し」と施設の慰問は原則、無料で行っているが、県外など遠方の場合は「旅費と道具の配送料を負担してもらえれば助かる」という。詳細と問い合わせは、がま研のホームページで。

◆16日から講座 参加者募る

 研究会は16日~10月28日の土曜日、土浦市小野の市立小町の館で口上の講座を開く。口上の由来や筑波山の歴史を学び、教本を使った実技指導がある。受講は無料で、全国から参加者を募っている。
 林さんは「自分の思いを相手に伝える練習にもなる」と話し、特に子どもたちの参加を呼びかけている。受講後には、がま研の会員になることもできる。
 筆記用具とノート持参。受講の申し込み、問い合わせは林さん=電029(862)3629=へ。

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