<芸人 今昔ものがたり 西条昇>タモリ編(1)デタラメ芸の天才

2023年9月6日 07時24分

若き日のタモリ

 「お笑いビッグ3(スリー)」といわれたタモリ、ビートたけし、明石家さんまの中で、タモリが一番年長でありながら、芸人になったのは最も遅く、他の2人のような弟子修業を経験していない。では、タモリはいかにして芸人となり、お笑い界のトップに上り詰めたのか。
 本名は森田一義。1945(昭和20)年8月22日、福岡市に生まれる。65年に早稲田大学に入り、モダン・ジャズ研究会で司会者兼マネジャーとして活躍。やがて学費未納で除籍処分になると福岡に帰り、保険外交員、ボウリング場の支配人、喫茶店の雇われマスターなど職を転々としていた。
 72年、タモリはジャズ・コンサートのスタッフとして福岡に来た大学時代の友人をホテルの部屋に訪ね、深夜まで飲んだ。帰りに廊下を歩いていると、ある部屋からドンチャン騒ぎをしている声が聞こえてきた。とっさに「この人たちとは気が合う」と考えたタモリはドアを開けて乱入。そこではジャズ・ピアニストの山下洋輔たちが打ち上げをしており、サックス奏者の中村誠一がデタラメな歌舞伎を演じていた。その相手役として突然現れた見知らぬ男に山下たちは驚いたが、タモリの披露する「インチキ外国語」などに転げ回って笑った。
 それ以降、山下は福岡での仕事のたびにタモリの芸を楽しみ、行きつけの新宿のバーで「九州にデタラメ芸の天才がいる」と吹聴した。バーの常連客たちが出し合ったカンパ金で75年6月にタモリが上京。バーで夜ごと披露した芸はすぐに評判となり、8月には噂(うわさ)を聞きつけたギャグ漫画家の赤塚不二夫がタモリの密室芸を見るためにやって来た。

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