「施策推進法」施行3年 アイヌ先住権、保障を 加害の歴史、見詰めよ

2022年5月22日 12時00分
 「アイヌ施策推進法」が、二〇一九年五月二十四日に施行されてまもなく三年。推進法はアイヌ民族を初めて「先住民族」と認めたが、先住権など権利規定が一切盛り込まれなかった「欠陥法」だと指摘する声は根強い。この欠陥に、アイヌも和人(アイヌではない日本人)も怒りの声を上げ始めている。先住権を認めない背景には、アイヌへの加害の歴史に目をつぶってきた和人の根深い差別意識が透ける。(木原育子)

◆「アイヌの歴史は絶えず消され」

 五月中旬、東京・霞が関。内閣官房が運営する「領土・主権展示館」を訪れた。竹島、尖閣諸島、北方領土の三つのコーナーがあり、それぞれ歴史的経緯などが示されている。

北方領土などが日本固有の領土であることを示す歴史的資料を紹介する国の施設「領土・主権展示館」。アイヌへの加害の歴史には触れていない=東京・霞が関で

 北方領土コーナーには、首脳会談で安倍晋三元首相とロシアのプーチン大統領が和やかに談笑する写真とともに、北方領土の地形や歴史などの展示が並ぶ。
 だが、その説明書きに「アイヌ民族」は出てこない。アイヌは十七~十九世紀に東北北部から北海道、樺太、千島列島に及ぶ地域で先住していた。だが、展示館の資料は「わが国の松前藩は十七世紀初頭から北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立した」とあるだけ。アイヌの土地を奪い、経済的に不平等な交易態勢を敷き、明治に続く同化施策の礎を築いた記録には触れない。アイヌの存在そのものがなきものとされているかのようだ。
 内閣官房領土・主権対策企画調整室の担当者は「意識してアイヌの説明を削ったわけではない。あくまで領土や主権について国の考えを示す場。北方領土コーナーは対ロシアとの交渉経緯が中心で、地方の郷土資料館とは違う」と説明する。
 先住民族の復権に取り組む室蘭工業大・丸山博名誉教授は「アイヌの歴史は絶えず消されており、意識して見なければ見えない。アイヌの歴史を軽視する推進法に不満が噴出している」と語る。

◆文化拠点ウポポイ 6割が「誇り」否定

 今年三月には、丸山さんが代表の「アイヌ政策検討市民会議」が実施したアンケート結果を公表。政府との窓口役の「北海道アイヌ協会」などアイヌ関連の八十団体に配布し、回答を得た(回答率47.5%)。
 結果は、丸山さんも驚くほど批判的だった。例えば、アイヌ文化の復興・発展拠点のウポポイ(北海道白老町)について「アイヌの誇りの尊重に結び付いたか」には、60.5%が「思わない」と回答。「観光化に埋没」「和人のための施設」「アイヌの植民地化された困難の歴史がわかる展示になっていない」と訴えた。
 最も厳しい意見は「先住権」だ。国連は〇七年、先住民族の権利宣言を採択。植民地化で失われた自己決定権や土地や資源に関する「先住権」も保障されると明記した。だが、推進法では盛り込まれなかった。
 「先住権の保障を明記すべきか」との問いに最多の84.2%が「はい」。自由記述で「明治政府以来、土地を奪い狩猟やサケ漁などを禁じ、民族固有の言語の使用や慣行を規制し、アイヌの一切の権利を蹂躙じゅうりんした」と苦渋の声が散見した。

アイヌ政策検討市民会議の丸山博代表

 丸山さんも「推進法は、形だけ一部のアイヌ団体の意見を聞き、和人主導で作った欠陥法で、国際基準からかけ離れているのは明らかだ」とし「アイヌを含む先住民族の文化とは生活様式そのものであり、土地や資源と不可分だ。にもかかわらず、同法はそれを無視し、有形のアイヌ文化を国や自治体の管理下に置こうとしている」と指摘する。
 「アイヌと向き合うことは、自国の加害の歴史を問い直すことと表裏一体だ。知らなければ、同じ過ちを繰り返す」と丸山さん。今後は院内集会など法改正に向けた動きを活発化する。

◆「持っていた権利 取り戻したいだけ」

 法施行後、提訴に踏み切った団体もある。「アイヌが元々持っていた権利を取り戻したいだけだ」。原告で、北海道浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」名誉会長の差間正樹さん(71)の声に力がこもった。

先住権を求めて札幌地裁に提訴したアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」の差間正樹さん

 ラポロアイヌネイションは二〇年八月、国や道に対し、地元の川でサケを捕獲するのは先住民族の集団がもつ「先住権」だとして、サケ漁を禁じる法律が適用されないことの確認を求めて札幌地裁に提訴した。
 河川のサケ漁は道の規則で和人を含めて禁止だが、アイヌの伝統的な儀式や漁法の伝承に限り捕獲を許可。道によると年間十五件程度を認めるが、差間さんは「なぜ和人に許しを得ねばならないのか。アイヌの権利を勝手に取ったのは和人だ」と訴える。
 国連によると、先住民族は現在九十カ国以上に三億七千万人。世界に目を向けると、先住権を認めない国の方が珍しい。
 米西海岸にもサケを捕獲して暮らす先住民族がいるが、サケの漁獲量の50%を認める。今年四月には、フィンランドの最高行政裁判所が、漁業規則に違反しサケを捕獲したのは違法ではないとして無罪判決を出した。

◆「明治政府の過ちを認めることになる」

 日本はなぜ先住権を認めないのか。アイヌ民族に詳しい市川守弘弁護士は「もし認めれば、明治政府がアイヌの土地や資源を奪い、アイヌの自己決定権を奪った過ちを認めることにつながるからだ」と指摘する。
 先住民族の権利には、集団の権利と個人の権利がある。「個人の権利は憲法上認められるが、政府はコタン(集落)はもう存在しない立場を取り、集団の権利を認めてこなかった。これは国連の先住民族権利宣言の完全無視、もしくは挑戦といえる」と市川弁護士は言う。「アイヌ社会がいきいきと存在するためには、自由に権利行使ができることが大前提だ」と続ける。
 北海道大アイヌ・先住民研究センターの北原モコットゥナシ准教授(文化人類学)は、日本政府が明治初期にアイヌの居住地を国有地化し、和人に優先的に分配していった歴史的な経緯を指摘する。日本人への同化施策も進み、「国は、『原始的で滅びゆく』アイヌの『保護』という名で政策を正当化し、アイヌ語の衰退も『文字が無かった』『時代の流れだ』と問題をすり替えた。何をアイヌ文化とするかも、アイヌ自身の自己決定に委ねられるべきだ」と訴える。
 道の一七年実施のアイヌ生活実態調査でも、差別を受けたことが「ある」と答えたのは23.2%。職場が45%と半数近くで、学校でも36%と高い。北原さんは「和人からの偏見を内面化して自己肯定感が低下し、自身がアイヌであるというアイデンティティーと向き合うことに苦痛を強いられてきた」と指摘し、「アイヌにとって今、切実に必要なことは、こうした葛藤からの解放だ」と説く。
 今後、どうアイヌとともにあるべきか。
 米国ウィスコンシン大の大貫恵美子教授(文化人類学)は「アイヌとひと言で言っても、地域差や文化の違いが多くある」と話す。
 一九六〇年代後半に樺太から戦後移住してきたアイヌの集落で暮らしながら「樺太アイヌ」の研究論文をまとめ、日本語訳「樺太アイヌ民族誌」(青土社)として出版。「学ぶことから全ては始まる。和人は文字を持たない民族を偏見の対象にしてきたが、アイヌの文化は非常に優れ、学ぶべきことが多い」と語る。
 前出の北原さんも言う。「マイノリティー(少数派)はマジョリティー(多数派)と一体の関係にあり、マイノリティーへの差別は『マジョリティー問題』といわれる。和人は問題の当事者として、アイヌの魅力発信という立場を転換し、加害の歴史を捉え直すべきだ」

◆デスクメモ

 札幌から南に車で一時間ほどの湖畔に立つウポポイ。国立アイヌ民族博物館や体験学習館などからなり、先住民族の尊厳を尊重し差別のない社会を築く象徴とも宣伝する。それなのに、政府は先住権を認めようとしない。アイヌの尊厳を守る取り組みに力を入れているのか疑問だ。(六)
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