「東京喜劇」のルーツ 次代へ 「カジノ・フォーリー」誕生から90周年

2019年7月14日 02時00分

榎本健一

 日本初のレビュー喜劇団「カジノ・フォーリー」が浅草(台東区)で誕生してちょうど九十周年の十日、江戸川大の西条昇教授(大衆芸能史)が、日本の喜劇王と称されたエノケンこと榎本健一(一九〇四~一九七〇年)の浅草での足跡を巡るツアーを開いた。「東京の喜劇のルーツを、次世代に何とか伝えていきたい」。こんな思いから、平日で参加者こそ一ケタだったが、節目の記念日を強く意識して実施した。 (井上幸一)
 西条教授によると、カジノ・フォーリーは、浅草オペラ出身の石田守衛を座長に旗揚げ。一九二九(昭和四)年七月十日から、浅草水族館二階の余興場で第一回公演を催し、テーマに沿って歌、ダンス、喜劇などのショーを繰り出すパリ仕込みのレビューを披露した。
 喜劇俳優のエノケンも助っ人でこれに参加し、すぐに解散すると、十月に自身が座長となり第二次カジノ・フォーリーを発足。作家・川端康成の新聞小説「浅草紅団」に描かれて一躍人気となる。影響を受けたレビュー喜劇団が浅草に続々と生まれ、エノケンはスターとなっていく。
 十日の「浅草エノケン出世街道ウォーキング」には、学生や研究者、街歩きの愛好家ら七人が参加。浅草寺のすぐ西側、現在はコンビニエンスストアがある水族館跡や、エノケンが出演した観音劇場、オペラ館、松竹座などの劇場跡を約一時間散策した。

浅草寺の西側、カジノ・フォーリーが旗揚げした浅草水族館があった場所で西条教授(左端)の説明を聞く参加者=台東区で

 西条教授は、当時のプログラムや、浅草の写真なども持参し、「若い女性が足を出して踊ったので、学生ファンが付いた。警察から規制もされた」など、当時の熱狂を説明。「渥美清、萩本欽一、ビートたけしら、戦後、テレビに進出した浅草のコメディアンは多いが、浅草喜劇の流れをつくったのはエノケン」と、カジノ・フォーリーの歴史的価値を強調した。
 参加した埼玉県川口市の主婦古川みずきさん(40)は「浅草というと寺が多いというイメージだったが、かつては華やかで、文化的な場所だったことが分かった」と話していた。

旗揚げ公演の新聞広告。「七月十日より」「浅草水族館」「40せん」の文字がある

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