牧野博士の情熱らんまん 文京区で足跡たどる

2023年4月6日 07時04分

牧野富太郎博士=個人蔵

 3日から始まったNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルは「日本の植物学の父」といわれる植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957年)。亡くなるまでの約30年間暮らした練馬区がゆかりの地として知られるが、都内にはほかにも研究の拠点だった植物園があり、博士が設立した植物同好会など思いを継ぐ人たちがいる。足跡をたどった。

◆小石川植物園 研究生活の拠点

 文京区の小石川植物園は長らく牧野博士の研究の拠点だった。
 博士は一八八四(明治十七)年、二十二歳で植物学を志して上京、東京大の植物学教室に出入りを許されるようになった。あくなき探求心と天性の描写力で次々に植物図鑑を発行し、頭角を現す。九三年に助手となり、四十七年間講師として勤めた。

小石川植物園内の柴田記念館に展示されている牧野富太郎に関する資料=文京区で

 同園によると、博士が三十五歳から七十二歳ごろまで植物学教室は小石川植物園内にあった。教室が本郷に移転した後も、一九三九年の退職までもっぱら植物園で過ごしていたという。
 博士の講師室を含め当時の建物は戦災などで現存していないが、生理化学研究室は「柴田記念館」として現在も残る。十一月二十六日まで牧野博士の企画展を開催中で、同園所蔵の関連資料を見ることができる。月曜休園、入園料五百円(小中学生は百五十円)。

◆牧野植物同好会 自然愛する精神 100年超脈々

牧野富太郎ゆかりの地、小石川植物園での野外研究会。奥中央は講師を務める牧野植物同好会の横山茂さん=文京区で

 「学名はラテン語表記による世界共通の学術公用語です」「yedoensisは江戸という地名からきている」。桜咲く三月下旬、小石川植物園で開かれた牧野植物同好会による学名の勉強会。講師を務めた同会の横山茂さん(68)の解説に、会員が熱心にメモを取っていた。
 同好会は、牧野博士が一九一一(明治四十四)年に設立した「東京植物研究会」がルーツ。活動歴は百年を超える。「植物に関する知識を広め、趣味を普及するとともに自然愛護の精神を培う」ことを目的とする。植物をこよなく愛する約百三十人が在籍。高尾山や尾瀬の湿原など関東を中心に毎月、野外研究会を行い、会誌「Makino」を年三回発行している。
 同会幹事の坂本アヤ子さんによると、今年になって七人が新規入会した。「『朝ドラ』効果もあるのではないか」とみる。
 坂本さんは七六年に入会。会員それぞれに詳しい分野があり、教え合うのが魅力という。
 「みんなが先生であり生徒。知らない世界を学ぶ楽しみがある。牧野先生が同好会をつくってくださっていなかったら、こんな楽しみはなかった」と感謝する。

◆高島堂薬局 先々代が共に植物採集

漢方の生薬を入れる「百味簞笥」=文京区で

 生薬のにおいがたちこめる店内。葛根(かっこん)、人参(にんじん)、黄連(おうれん)…。「百味簞笥(ひゃくみだんす)」には、生薬がびっしりと詰まっている。約160種類をそろえ、客ごとに最適な配合で処方する。
 東大赤門(文京区本郷)のすぐ近くにある漢方の薬局「高島堂薬局」。創業は1870(明治3)年。先々代の浅野正義(まさよし)さん(1913〜97年)は若い頃、牧野博士と植物採集をしていた。
 採集した根や葉の水分を取るために新聞紙に挟んでいた父親の姿を、浅野さんの長女、雨宮洋子(あめみやひろこ)さん(79)は覚えている。行き先は近辺の低山が多かったようだ。
 「(牧野博士は)周りが見えなくなるくらい研究に没頭する人だったと父から聞いている」と雨宮さん。「牧野先生と植物採集をしていた時間は父にとって至福のときだったろうと思います」と思いを巡らす。
 店の本棚にある「原色牧野和漢薬草大図鑑」などは、生薬の和名や効能を確認するために使っているという。
 明治以降、西洋医学一辺倒になったが、雨宮さんは「漢方のもとになっている薬用植物や生薬が再評価されるきっかけになってほしい。楽しみです」とドラマへの期待を込める。

生薬のにおいが充満する高島堂薬局。浅野正義さんの長女・雨宮洋子さん(左)と戸田哲司社長=文京区で

 文・浜崎陽介/写真・伊藤遼、安江実
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