「サダムが処刑され、復讐がかなった」フセインに弾圧されたクルド人が今恐れるのはトルコ軍

2023年3月28日 06時00分
<独裁崩壊その後~イラク戦争20年>
 イラク北東部クルド人自治区ハラブジャでは今月16日、朝から雨が降っていた。サダム・フセイン政権がこの街を化学兵器で攻撃してから35年となった。住民約5000人が虐殺され、フセイン政権による少数民族クルド人弾圧の象徴とされる。

◆化学兵器で両親と姉弟が亡くなった

16日、イラク北東部ハラブジャの平和記念館で、化学兵器で攻撃された時の様子を伝える展示とバクティアール・アブドラ氏

 「サダムが処刑され、初めて気持ちが楽になった。復讐ふくしゅうがかなった日だった」。当時13歳だったバクティアール・アブドラ(48)は、化学兵器攻撃で両親と姉弟の4人を亡くした。リンゴのような匂いが街を包む中、息絶えていく家族を見ているしかできなかった。
 アブドラは現在も化学兵器の後遺症に苦しみ、呼吸器疾患を抱える。2003年の政権崩壊後、被害者たちは政府補償の拡充を期待したが、いまだ十分な治療は受けられない。しかしアブドラは「いつ殺されるか分からない恐怖は消えた。自由と安全は何ものにも代えがたい」と話す。

◆遺跡調査を禁止して事実を封印

 フセイン政権はクルド人の独立運動を弾圧した。虐殺や国外追放にとどまらず、クルド人の文化や歴史も否定された。学校では「クルド人は他の地域から移り住んできた民族」などと教えられていたという。
 歴史的な事実を封じるため、旧政権はクルド人地域での遺跡発掘や調査を禁じた。政権崩壊後は徐々に発掘が始まり、クルド人の歴史に光が当たる。クルド人自治区スレイマニヤの博物館長ハーシム・アブドラ(56)は「遺跡はクルド人が歴史的にこの土地に住んでいたという証拠。アイデンティティーそのものだ」と強調する。

15日、イラク北東部スレイマニヤの博物館で、クルドの歴史について子どもたちに説明するアブドラ館長(左)

 10年ごろから外国人の発掘が許可され、日本からも調査隊が現地入りしている。中部大(愛知県春日井市)教授の西山伸一(55)は「遺跡はクルドの歴史を伝える。発掘成果を地元に還元したい」と話す。

◆強まる越境攻撃に「占領ではないか」

 しかしフセイン政権崩壊とともに、クルド人に平和が訪れたわけではない。イラク、イラン、トルコ、シリアの山岳地帯に推定3000万〜4000万人が暮らすクルド人は「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれる。各国政府はイラク同様に独立運動に目を光らせ、「テロリストの掃討」を口実にイラクへの越境攻撃を激化させている。
 自治区北部ザホ郊外では昨年7月、トルコ軍の越境攻撃でイラク人観光客ら8人が死亡した。現在も週2回ほど山間部への攻撃が続く。「サダムの後はトルコだ。今のイラクには主権がないに等しく、もろい国になった」。旅行業エブラヒム・アブド(40)が嘆く。
 トルコ軍は国境から20キロ地点までイラク国内に侵入し、ザホ周辺にはトルコ軍の検問所が約40カ所設けられている。自治区北部には20カ所以上の軍事基地が建設された。ジャーナリストのワリード・サナディ(35)は「トルコの攻撃を恐れて国境付近に住む農家は他の場所に移ってしまった。これは『占領』ではないのか」と訴える。(カイロ支局・蜘手美鶴、写真も)=文中敬称略
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 フセイン独裁政権を崩壊させたイラク戦争から20年。独裁崩壊後のイラクを追った。

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