<再発見!伊豆学講座>写真家の先駆者・下岡蓮杖 「オランダ製銀板」礎築く

2023年3月5日 08時28分

下岡蓮杖の肖像画。晩年の写真を基に馬堀喜孝という人物が描いた=下田市教育委員会提供

 今年は日本の写真家の先駆者で、最初期の商業写真家でもある下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の生誕二百年にあたる。文政六(一八二三)年旧暦二月十二日、下田にあった浦賀船改御番所判問屋桜田与惣右衛門の三男として、下田中原町(現静岡県下田市)で生まれた。
 十三歳で江戸に出て足袋問屋に丁稚(でっち)奉公、十五歳で浦賀台場下田砲台付足軽となった。二十一歳の時、同心畑繁八郎の弟董玉の世話で絵師を志し、狩野董川(とうせん)に弟子入りした。董圓または董古と号した。
 写真術を志し、通訳ヒュースケンに撮影法を習った。二十四歳のころ、江戸島津家下屋敷でオランダ製の銀板写真を見て以来、写真を学ぶことへの決心をさらに強くした。
 咸臨丸で通訳として米国へ渡ったジョン万次郎がカメラキットを土産として持ち帰り、「日本人が初めて撮影した」といわれる写真のいくつかは残っていた。しかし、本格的な写真師は蓮杖が最初である。

下岡蓮杖が撮影した江川英武の写真(江川文庫所蔵)

 安政五(一八五八)年、日米修好通商条約が結ばれ、日本は本格的に開国し、横浜居留地ができた。文久二(一八六二)年、横浜に出て米国人写真師ウィルソン(蓮杖による記録ではウンシン)について学び、横浜弁天町に東日本初の写真館「全楽堂」を開いた。ほかにも石版印刷業や牛乳店、乗合馬車事業も興した。
 蓮杖が写真館を始めたこの時期、幕末の志士坂本龍馬を撮影したことで知られる上野彦馬が長崎に「上野撮影局」を開業。「東の下岡」「西の上野」と称された。
 蓮杖の門下では幾多の写真家が育成され、中でも鈴木真一(現松崎町出身)は明治天皇を撮影し、一躍有名となった。船田万太夫(現下田市出身)も蓮杖門下の一人である。明治の初め、船田が下田で旅館兼業の写真館を開業した時に、蓮杖は自分の使っていたカメラを与えたという。
 幕末期、最後の韮山代官で、明治初期の韮山県知事を務め、岩倉使節団で渡米する前の江川英武を撮影した写真が江川文庫(伊豆の国市)に多数残っている。これは当時、写真を名刺として使っていたもので、その様子が伝わってくる。

下岡蓮杖の写真館名が刻印されている写真の裏面(江川文庫所蔵)

 当時の写真(ポートレートと呼ばれていた)は簡単に撮れるわけではなく、長い時間身動きしないようにして、撮影を行った。大がかりな洋風のセットをスタジオに作り、ポーズを取っての撮影だった。そのほかにも蓮杖が作ったといわれる手捏(てご)ねのお面なども伝わり、蓮杖の多彩な活動も見ることができる。
 下田市の寝姿山頂に「蓮杖写真記念館」があり、下田ロープウェイで上がって行くと見学できる(新型コロナウイルス感染拡大防止のため休館中)。大正から昭和の小説家で劇作家の吉田絃二郎は戯曲「下岡蓮杖」を発表、先駆的な業績を記録した。歌人前田福太郎は、昭和四十一(一九六六)年に人物評伝「日本写真師始祖 下岡蓮杖」を著した。
 明治九(一八七六)年に浅草に移り住んだ蓮杖は、大正三(一九一四)年三月三日、九十二歳で亡くなった。(橋本敬之=伊豆学研究会理事長)

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