<新型コロナ>揺れる大相撲 両国で名古屋場所 1000人移動、リスク回避

2020年5月5日 02時00分

史上初めて無観客で開催された大相撲春場所の千秋楽。全取組終了後に協会あいさつが実施された=3月22日、エディオンアリーナ大阪で

 新型コロナウイルスの感染拡大による政府の緊急事態宣言の延長を受け、日本相撲協会は4日、夏場所の中止と名古屋場所の東京での無観客開催を目指すことを決めた。感染の終息にめどが立たない中、他のスポーツ団体同様、苦渋の決断を強いられた格好だ。
 八角理事長(元横綱北勝海)は、名古屋場所を両国国技館で開催する理由を「大人数による名古屋への移動・長期滞在を避けるため」と説明した。現在、協会に在籍しているのは力士だけで約600人。親方や行司ら裏方を含めれば関係者は1000人近くに上る。この人数が名古屋まで移動すれば、感染へのリスクが高まることは容易に想像でき、現実的とは言えない。
 また地方場所は、各部屋が神社仏閣などに宿舎を構え、地域に根ざして住民に応援されている現状がある。ただ、感染者が多い大都市などからの移動によるウイルス感染拡大の警戒感が日本中で広がっていることも事実。こうしたこともあり名古屋での本場所開催を見送った。
 集団生活が基本の相撲界は、1人が感染すればとたんに拡大することが危惧される。すでに高田川親方(元関脇安芸乃島)、弟子の十両白鷹山ら7人が感染。プロ野球の開幕やJリーグ再開の見通しも立たない中、相撲協会内にも夏場所開催には否定的な意見は多く、やむを得ない判断といえる。
 これで春場所から3場所連続で入場料収入を得られないことになり、相撲協会にとっては財政面でも大きな痛手。芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「この社会で40年以上やってきて、こんなことが起こるとは思ってもみなかった」と驚きを隠さなかった。 (禰宜田功)

◆過去にも中止や延期

 大相撲は過去にも本場所を通常開催できないことがあった。
 最初の中止は1946年夏場所。太平洋戦争で被災した旧両国国技館の修復が遅れ、取りやめとなった。負の歴史として残るのは2011年春場所の中止。八百長問題に国技が揺らいで信頼も失墜し、多くの力士らが追放された。
 同年5月は興行ではない技量審査場所を無料公開で実施した。NHKの中継がなく、天皇賜杯もない異例の場所が再生への第一歩だった。
 日程変更の例では、45年夏場所を空襲により5月から6月に延期。一般に非公開で傷痍(しょうい)軍人らを招いた。89年初場所は昭和天皇崩御により、初日を1日遅らせた。

◆夏場所中止 炎鵬「仕方ない」 豊山「目標失っていない」

 関取衆らは冷静に受け止め、再び鍛錬に励む思いを口にした。
 横綱白鵬は「目標がいったんなくなったことで残念。仕方ない」と受け止めた。目玉の新大関朝乃山は、昨年初優勝を果たした夏場所での晴れ舞台はかなわなかった。それでも「7月場所に向けて一日一日を大事に、今できることを続けていく」と前向きにコメント。横綱鶴竜は「7月場所で皆さんに元気な姿を見てもらえるようにしっかり準備する」と述べた。
 人気の小兵、平幕炎鵬は「楽しみにしてくださっていた方もいるし、僕らもやると思って稽古をしてきた。それでも仕方がない。7月に向けてしっかり準備をしていく」と気持ちを切り替えた。
 夏場所は西前頭筆頭の番付で、新三役を目指すはずだった豊山は「予想はしていたので、そこまで落ち込んではいない。次に勝ち越せばいいだけで、目標やモチベーションは失っていない」と気丈に話した。
 日本相撲協会はウイルス感染防止のため、接触のあるぶつかり稽古などの自粛を通達している。難しい調整が続き、全45部屋で3番目に多い28人の力士を抱える玉ノ井親方(元大関栃東)は「しっかり基礎運動をやって、うまくコンディションをつくっていってあげたい」と語った。

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