危険なニオイがするから…立花隆さんが残した取材資料の寄託が難航 匿名の情報源含まれれば公開にリスク

2022年12月26日 12時00分

立花隆さんの日本共産党に関する取材ノートなど(共同)

 「知の巨人」と称されたジャーナリスト故・立花隆さんの取材資料の行き先が不透明になっている。4月に茨城県のテーマパークへの寄託が報じられたが、故人が遺志を明示していなかったため、相続人が判断しかねているという。「段ボール100箱分」とされる資料が廃棄されてしまえば、後進の研究者やジャーナリストの損失は計り知れず、交流のあった関係者は危機感を募らせる。(西田直晃)

◆地元・茨城の広沢清氏が公開に意欲

 都心から車で1時間半。茨城県筑西市の「ザ・ヒロサワ・シティ」の一室に、「ロッキード」と走り書きされたスクラップブック、「共産」と記された段ボール箱が積み上がっている。立花さんが残した取材資料の一部だ。「ネコビル」と呼ばれた都内の事務所から6月、運び込まれた。民法上の「寄託」の位置付けで、立花さん側に代わって保管する前提だった。
 「彼は日本政治を変えた男だし、何より茨城から世に出た。全資料を保管し、いずれは公開したい」とシティを運営する広沢グループの広沢清会長(84)は話す。しかし「今は静観せざるを得ない状況」と続ける。寄託を巡り、相続人との話し合いが進まないためだ。

◆ペンの力で田中角栄元首相を追い込んだ

インタビューに答える立花隆さん=2013年12月、東京都文京区で(共同)

 寄託の対象と報じられたのは、自筆原稿や取材ノートのほか、田中角栄元首相や共産党に関する資料などだった。水戸市育ちの立花さんは東大仏文科卒業後、雑誌記者として活躍。インタビューと資料収集に多くの人員を割り振り、成果をまとめるアンカーマンとして一時代を築いた。
 ともに1970年代に月刊誌に発表した「田中角栄研究」は田中氏を首相辞任に追い込み、「日本共産党の研究」は国会審議で取り上げられた。昨年4月に80歳で亡くなるまで、政治や医療、環境問題、宇宙、臨死体験といった多彩なテーマに取り組んだ。

◆公開に「法的リスク」が浮上

 幅広く、かつ重厚な著作活動を支えたのは、「知の集積」とも言える膨大な取材資料だった。なぜ、寄託や公開の動きが滞っているのか。資料の寄託はもともと、立花さんの幼なじみで元NHK専務理事の板谷駿一さん(82)が仲介し、立花さんの秘書を務めていた妹菊入直代さん(78)が広沢会長から賛同を得て実現した。7月下旬ごろまで、相続人に当たる立花さんの3人の子も承諾していたというが、「法的リスクや経済的・人的負担が大きい」と難色を示したのが相続代理人の安福謙二弁護士(75)だ。
 最大の懸念は、未公開の取材資料に含まれている可能性がある「秘匿情報」だという。「特に著作の初期から中期にかけ、匿名を条件に取材している情報が非常に多い。資料が人の目に触れ、立花さんがジャーナリストの矜持きょうじとして守ろうとした約束が破られれば、トラブルに発展する可能性がある。秘密保持に関する問題がないと言い切れるのは彼本人だけだ。相続人や寄託先にリスクを負わせるわけにはいかない」と主張する。

立花隆さんの「日本共産党の研究」記事

 また、長期の維持管理やデータベース化、一般公開の是非のチェックなどに、多大な費用と人手を要する点も案じている。この安福弁護士、当人が言うには、20代のころ、「日本共産党の研究」のインタビューと資料収集を担ったデータマンの一員だった。自身が仕事に携わったからこそ、取材ノートの貴重さ、背中合わせの危うさを重く捉えているという。
 現在、資料の大半はNHKのドキュメンタリー番組制作のために貸し出され、関係者の多くはまだ中身に目を通していない。安福弁護士は「資料の精査が最優先だ。それまでは何も進められない」と述べる。

◆「手だてはいくらでも考えられる」

 一方、寄託を仲介した板谷さんは反論する。「安福弁護士の主張はやや誇大ではないか。保管した資料を選別し、秘匿情報の問題が起きそうなものがあれば、一定の時期まで公開しないなど手だてはいくらでも考えられる」と指摘。費用や人手の点については「クリアする環境は整っている。立花君の死後も、専門的知見を持ったファンの編集者や研究者、教え子たちがいるからだ」。
 立花さんは旺盛な好奇心を生かし、広範な交友関係を築いた。映画監督宮崎駿さんに請われ、大ヒット作「耳をすませば」でヒロインの父親の声を好演した。90年代以降は大学の教壇に立ち、東大や立教大の大学院特任教授を務めた。
 教え子が運営する「立花隆公式サイト」では、研究者や編集者ら30人近くが、取材資料を「廃棄されるかもしれない」と心配し、保存を訴えている。

教え子が運営する「立花隆公式サイト」の一部

 同僚だった東大の佐倉統教授は「メモやノートなどはお金では買えません。この世界で唯一無二の情報です。保存しておくこと自体に価値があります」と書き込んだ。
 単行本だけで5万冊を超える蔵書はすでに古書店に売却されたが、資料については立花さんの意向が明確ではなかったため、本人の考えを推し量るようなコメントも目立つ。

◆前例のない「ジャーナリストの資料」寄託

 東大の石田英敬名誉教授は「『田中角栄研究』の際に使った膨大な資料群があるので、東大でなんらかの役に立てることはできないか、というお話を(立花さんから)いただいていました」と公式サイトで証言。実現はしなかったが、「ジャーナリズムの実践記録、ご自身のジャーナリストとしての事績について、客観的・学問的にしっかりとした記録を残し、後代の研究に委ねようという意志を明確にもった知識人であったということです。少なくとも、同じ大学の同僚としてお付き合いした者として、この認識はゆるがない」と断言している。
 過去のケースでは、研究機関などに資料が寄託されるのは、小説家や学者が圧倒的に多い。例えば、2010年に亡くなった民族学者梅棹忠夫さんのノートやスケッチなどは、自身が初代館長を務めた国立民族学博物館(大阪府吹田市)にある「梅棹資料室」が保管している。東大文学部は昨年1月、ノーベル文学賞作家大江健三郎さん(87)の1万枚を超える自筆原稿を寄託された。今後、「大江健三郎文庫」(仮称)を日本近代文学の研究拠点として位置付ける。
 だが、ジャーナリストの取材資料の寄託は前例がほとんどない。加えて、近年は資料を引き受ける余裕がある研究機関自体が減っているという。出版関係者は「大学の経費削減が進み、保管するスペースや専属学芸員の確保が難しくなっている」と明かす。

◆「廃棄すれば全ては終わり」

立花隆さんが収集したロッキード事件の裁判資料など(共同)

 こうした状況の中、立花さんの取材資料の行く先をどう考えるべきか。前出の石田名誉教授は「こちら特報部」の取材に「戦後日本を振り返ると、政治の流れを大きく変えたのはロッキード事件だった。そこに至る経緯を記録した立花さんの資料は、現代史的に非常に重要。やはり、後世に残すべきだ」と強調する。
 政策研究大学院大の隅蔵康一教授は立花さんの思考法に着目している。「どのように取材対象者から話を聞き出し、何をポイントに原稿をまとめていたのか、メモやノートといった取材過程の資料から理解できることは多い。文化的な価値は高く、数十年後の人々も知れるようにするべきだ」と語り、こう訴える。
 「リスクに引きずられ、廃棄すれば全ては終わり。まずは保管し、公開に伴う危険性があるならその段階で検討すればいい」

◆デスクメモ

 自分で書いた取材ノートが判読不能という事態が、たまに発生する。比べると、写真の立花さんのノートはきれいだ。物事を論理立ててまとめる能力の一端なのかな、と想像する。でも、中には判読不能なメモもあるかも。いつか資料を見て、「知の巨人」の取材ぶりを感じてみたい。(北)

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