<カジュアル美術館>放蕩息子に扮するセルフポートレイト 1636 森村泰昌 ハラミュージアムアーク

2020年5月12日 02時00分

1994年 カラー写真・カンバス 153×125センチ

 自宅で長く過ごすことは、人生を顧みて「自分とは何か」と思索する機会ともなり得る-。この問いに取り組み続ける美術家・森村泰昌(一九五一年~)の作品は、そんな気持ちにさせてくれる。臨時休館中で実物はしばらく見られないが、紙面で魅力を伝えたい。
 巧妙なメークや衣装で絵画や映画の登場人物らになりきり、基の作品や背景に独自の解釈を加える森村の「セルフポートレイト」。「放蕩(ほうとう)息子に扮(ふん)するセルフポートレイト 1636」のモチーフは、オランダの巨匠レンブラント(一六〇六~六九年)が自身と妻サスキアを描いた「居酒屋の放蕩息子(レンブラントとサスキア)」で、夫妻の双方を演じた。
 明暗を巧みに使い分ける技法から「光と影の魔術師」と称されるレンブラントだが、人生にも陰と陽があった。名声を得つつある中、結婚。大きな注文も相次ぐようになった。しかし、早くに妻を亡くすと、女性関係で訴訟沙汰に。浪費癖もあったとされ、オランダ経済が不況に陥ると破産に追い込まれた。
 「居酒屋-」の制作は、結婚間もない一六三四~三六年ごろとされる。放蕩息子と言えば、新約聖書のルカの福音書に登場する「没落する弟」の話を想起させるが、この作品では、成功者・レンブラントが派手な放蕩息子姿で、膝の上に愛妻を乗せている。その後の彼の運命を知る現代人は、没落を承知で自らを客観的に観察したのか―などと思いをはせてしまう。
 一方の森村作品。伝わってくるものは、基の作品とはまったく異質だ。鑑賞していると、次第に森村と自分が重なり合い、レンブラントが描いた時代性や人種、性別を超越して美術史の中に入り込んだかのような錯覚を覚えた。
 森村は、生涯にわたり描かれたレンブラントの自画像に入り込み、その一生を追体験し、彼の家族たちにも扮した。「人間は演技する生き物」だとする森村は、レンブラントに「演技する精神」を見いだし、画家を演じきったその人生から「自我」を深く探った。
 ただ、ハラミュージアムアークの青野和子館長は、森村の作品を「自我の追求だけでなく、『自分は何にでもなれる』という自我の拡散の観点が感じ取れる」と評す。確かに、「放蕩息子-」を見ていると、自分とレンブラントの距離が縮まり、過去と自分とのつながり、新たな自分になれる未来の可能性にも気付かされた。
 森村が一九九四年にレンブラントシリーズ二十四点を制作してから四半世紀。コロナ禍に見舞われている今こそ、「自分」を見つめ直させてくれる力を感じ取りたい。
 ◆みる ハラミュージアムアーク(群馬県渋川市)=電0279(24)6585=はJR渋川駅から伊香保温泉行きバスで「グリーン牧場前」下車、徒歩5分。
 「放蕩息子に扮するセルフポートレイト 1636」など森村泰昌のレンブラントシリーズ24点は本館に当たる原美術館(東京)の所蔵。7月5日までの「ザ・ポートレイト 原美術館コレクション」で展示していたが、現在は休館中で、再開は未定。通常の開館時間は午前9時半~午後4時半(入館は4時まで)、木曜休館。一般1100円、大高生700円、小中生500円。
 文・清水祐樹
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