天皇訪中30年 「熱烈歓迎」も「清算」はかなわず…「真摯な姿勢伝わった」一方「政治利用」との批判も

2022年10月3日 12時00分
1992年10月24日、中国を訪問し、万里の長城を見学される天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)

1992年10月24日、中国を訪問し、万里の長城を見学される天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)

 天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が、歴代天皇として初めて中国を訪問されてから今月で30年となる。日中国交正常化から20年の節目に「熱烈歓迎」で迎えられたが、日本国内では「天皇の政治利用」との批判もあった。訪中に関わった人は今、何を思うのか。(佐藤大)
 「陛下と市民の距離は50センチぐらい。市民はそれはもう笑顔だった」。侍従として訪中に同行した手塚英臣さん(88)は30年前の熱気を懐かしむ。
 1992年10月27日、上海の目抜き通り「南京路」。上海で訪中最後の晩さん会を終え、宿泊するホテルへと向かう天皇、皇后両陛下を乗せた車を、鈴なりの市民が見送っていた。
 その数は20万人とも30万人ともいわれる。車は「時速10キロにも満たないスピード」(手塚さん)で走った。両陛下はほほ笑みながら市民たちと目を合わせ、手を振り続けた。
 安全を最優先とする場面での異例の対応。手塚さんは上海総領事を通じて「車のスピードは落としてほしい」と要望していた。「沿道に市民は動員しないでほしい」とも。一般市民と直接、同じ目線で触れ合いたい、との陛下の意向だったとされる。
 手塚さんは、訪中の間の両陛下の真摯しんしな姿勢が新聞やテレビを通じて市民に伝わり、大歓迎につながったとみる。「こんなに大成功した外国訪問はなかったと思う」
 しかし、警察庁外事一課理事官(当時)で中国の公安当局者と連携して警備を担当した南隆さんの見方は少し違う。両陛下の車のすぐ後ろで、中国の公安当局幹部と一緒に乗っていた。この幹部は車をゆっくり走らせることについて事前に「きょうは完全にコントロールされているから大丈夫だ」と話していた。
 沿道でカメラのフラッシュはたかれず、事前の荷物検査は徹底されていたとみる。幹部が「明日はだめだぞ」と言った翌日、農村部をかなりの速度で駆け抜けたことと対照的だった。「南京路は完全にコントロールされていた。動員されていた可能性も高い」とみる。
 天皇訪中は、中国側には民主化運動を武力弾圧した「天安門事件」後の対中制裁の突破口にしたいとの意図が透け、日本側には戦争の過去を清算し、新たな関係を築きたいとの思惑がにじんでいた。
 初日の夜、北京での晩さん会で天皇陛下は「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」とお言葉で戦争に触れた。上海の最後の夜、中国側は「ハイライト」を用意していたのか。
 宮内庁の式部副長として同行し、後にデンマーク大使などを務めた苅田吉夫さん(86)は「両陛下は誠心誠意、日中両国の融和と友好の増進のために尽くされた。あの時点で訪中しなかった方が良かったとは思わない」と肯定的に振り返る。
 ただ、その後の中国との関係で言えば、複雑な思いが残る。中国は大国化し、歴史問題などで両国の摩擦は生じ続けた。国交正常化から50年を迎えた今も、両国は成熟した関係とは言い難い。「残念ながら、日中間の過去の清算は結局、かなっていない」

 天皇訪中 1992年10月23~28日、天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が中国を訪れた。北京、西安、上海を歴訪。歓迎式典や晩さん会に出席したほか、万里の長城や故宮博物院を訪れたり、幼稚園や大学で人々と交流したりした。中国側からの度重なる招請を受けた宮沢喜一内閣の決断だったが、日本国内では保守派などから「天皇の政治利用」といった批判の声が上がった。中国外相を務めた銭其琛氏は回顧本で「(天皇訪中は)西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮した」と振り返っている。

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