消滅した日本植民地時代の旧市街地を再現 南北軍事境界線の街
2022年8月17日 12時30分
韓国北部・江原道 鉄原 郡は、朝鮮半島のほぼ中央に位置する。そこには日本の植民地時代に交通の要衝として栄えたものの、朝鮮戦争で消滅した旧市街地があった。南北軍事境界線を挟んで北朝鮮と向き合う前線地帯に今夏、いにしえの街を再現した「鉄原歴史文化公園」が開園。15日の日本統治からの解放記念日「光復節」を前に訪ねた。(鉄原で、相坂穣、写真も)
ソウルからバスで2時間余りで、鉄原の現市街地に着いた。旧市街地は北へ十数キロの地点にあり、タクシーに乗り換えて田園地帯を進んだ。「植民地時代は劇場も旅館もあった。亡くなった父が昔話をしていた」。初老の男性運転手が江原道の方言で語った。
1910年の日韓併合後、「京城」と呼ばれたソウルと東部の元山 を結ぶ京元線が開通し、鉄原駅が開業。20年代に観光地の金剛山 に向かう路線の始発駅ともなり、人口10万人規模の経済圏の中心となった。第2次大戦後、米国と旧ソ連が北緯38度線を南北分割統治ラインと定め、鉄原は一時、北側に入った。
旧市街地の跡に着くと、「旧朝鮮労働党鉄原庁舎」の廃虚がそびえていた。旧ソ連の支援を受けた金日成 氏(後の北朝鮮主席)率いる党が46年、住民統制や思想教育のために設けた。
50年からの朝鮮戦争の激戦で植民地時代の建物は壊滅したが、鉄原庁舎の堅固な鉄筋コンクリートは残った。郡の説明では「ここに連れてこられた住民は死体か、瀕死 状態でしか出られないほどの拷問を受けた。防空壕 で多くの人骨と実弾や針金が見つかった」という。
鉄原歴史文化公園は鉄原庁舎の正面に、朝鮮戦争休戦69周年の7月27日にオープンした。鉄原郡が古い写真や文献を基に、旧市街地を再現。全長約150メートルの通りに、鉄原駅をはじめ、学校や銀行、郵便局、消防署、病院、映画館、旅館、洋服店などを模した建物が並ぶ。分断され復興しない鉄道の代わりに、北朝鮮側の山が望める所伊山 (362メートル)に向かうモノレールも開業した。
2017年から総工費は226億ウォン(約23億円)に上った。地元住民の中には「日本の植民地支配の美化につながる」と反対意見もある。郡は、日本の植民地時代だけでなく、日本に抵抗した独立運動家や朝鮮戦争の犠牲者を追悼する事業を行うなど、軌道修正を続けてきた。
ソウルから幼い子どもを連れて訪れた宋正燮 さん(38)は「日本に支配された歴史も分断国家である事実も民族の痛みだ。ありのまま後世に伝える場所になれば」と語った。
帰り際、公園の北側を通る道路に、迷彩色で塗られた巨大なコンクリート構造物が設けられているのに気付いた。北朝鮮の戦車が南侵してきた場合、それを爆破してがれきで進路をふさぐという。韓国軍の装甲車が通りかかり、兵士の鋭い視線がこちらに向けられた。朝鮮戦争はやはり、まだ終わっていない。張り詰めた空気が漂い続けていた。
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