「アンナミラーズ」高輪店の出店秘話は 井村屋グループ会長インタビュー

2022年8月4日 18時00分
 「アンナミラーズ高輪店」(東京都港区)を運営する井村屋グループの浅田剛夫会長(80)は半世紀ほど前、同社が国内でチェーン展開し始めた当初から「アンミラ」に携わってきた。本紙のインタビューに、日本で展開したいきさつや、8月末で国内唯一の店舗の高輪店を閉める思い、今後の展望などを語った。

アンナミラーズの思い出を話す井村屋グループの浅田剛夫会長=東京都千代田区で

 ——高輪店の閉店の理由を教えてください。
 入居するビルの再開発です。テナントとして商業施設、ウイング高輪に入店させて頂いている身。単独で自分のところで土地を持っているわけではない。国土交通省の方から品川駅前を再開発して、より活性化させたいと。リニア中央新幹線も入って来て、国家的な一つのプロジェクトとして考えているということをこまごま説明頂いてですね。非常に残念だけど、ご協力させて頂くことにしました。そうした理由でなければ継続していると思います。
 ——経営的な理由ではないんですね。
 高輪店は収益的に優れたホームランショップです。特に立地がいい。品川駅西口を降りて、すぐ目に入る。1階の入り口にエスカレーターもあって、上がってすぐの場所にある。これは実質、1階の店舗だと。2階の家賃で、実質1階の集客を見込める好立地にあることは大変大きいです。
 ——浅田会長が高輪店の出店にも携わったのですか。
 1973年に青山に1号店を出店する当時から15店舗目まで、外食部門にいて直接、携わりました。高輪店は83年にオープンした11番目の店。一般的に10年、10店目ぐらいから、お客さまへの浸透もしてチェーン全体として収益が出てくるといわれる。そうしたタイミングも重なり、高輪店に思い入れもありました。
 とはいっても決して安い家賃ではない。実は当初、収益の見通しとして大丈夫かという意見があった。取締役会で高輪への出店は一度、却下されたんです。それでも、私の人生の師でもある本場のアンナミラーズ創業者スタンレー・ミラー氏から「あんないい場所で、なぜやらないのか。ホームランショップになるぞ」と背中を押されたのです。もう一度、取締役会に諮り、出店が決まりました。
 高輪店が収益を高めた理由は、立地だけではありません。それまでの多店舗展開だったころと異なるやり方を確立しました。品質をさらに高めた料理を提供できるようにしたのです。
 というのも多店舗を展開していたころは、世田谷の経堂にあったセントラルキッチン、私たちは「カミッサリー」と呼んでましたが、そこで作って各店舗に運んでいた。でも高輪店だけになり、変えました。ベースを本社がある三重県で作って冷凍輸送し、クリームなどの新鮮さが求められる食材は店舗で作るようにした。高輪店のキッチンも改装して、より質の高い食事を出せるようになった。このノウハウを生かして、もう一度、複数店を展開することも考えたりしました。

アンナミラーズ高輪店=2012年撮影

 ——あらためてアンミラを日本で展開することにした経緯を教えてください。
 1960年代後半くらいに、日本で外資の外食との提携が可能になった。マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなど、外資との提携による日本での展開が始まった。創業者で初代社長の井村二郎は、大きな産業になると感じて、何か自分たちでもできることはないかと思っていたようです。世の中の新しい変化が起こっている。自分たちも、ようかん、和菓子屋というジャンルから飛び出し、そういうものができないかと思っていたようです。
 最初はアメリカのドーナツ会社との提携話があったんです。コンサルタントの方も入って研究もしました。でも検討の結果、やろうという意思決定に至らなかった。米国までお断りに行った帰り際。「面白いレストランがありますよ、パイが売り物のコーヒーショップです」と紹介され、せっかく来たんだから、のぞいていこうと見に行ったのがアンナミラーズなんです。
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