「デモから生まれた政治家」れいわ新選組代表 山本太郎さん 「政治が暴走しそうな時こそ声を上げる」

2022年1月6日 06時00分
<新年連載・声を上げて~デモのあとさき⑤>

これまでのデモ体験について話すれいわ新選組の山本太郎代表=東京・永田町の衆院第2議員会館で

◆国民の命を軽視する姿勢を目の当たりにして、こらえ切れなくなった

 「原発反対」「子どもを守れ」「地球を守れ」―。
 2011年9月19日の「さようなら原発5万人集会」。山本太郎さん(47)は東京・明治公園に設けたステージでマイクを握った。東京電力福島第一原発事故から半年が経過。俳優の仕事を失うリスクを顧みず、反原発の活動に身を投じていた。その歯切れいい訴えに、あふれ返る参加者は大きな拍手や歓声で応えた。
 芸能界では「スポンサーは神のような存在」(山本さん)。企業が絡んだ社会問題への発言はタブーだ。山本さんも、政府や東電の原発事故へのお粗末な対応に「恐怖や不信感」を抱きながら、当初は心の底に封じ込めていた。
 だが、政府は原発事故について「直ちに健康被害はない」などと繰り返す。国民の命を軽視するような姿勢を目の当たりにして、こらえ切れなくなった。

「さようなら原発5万人集会」に参加した山本太郎さん(前列右から2人目)ら

 この年の4月。政府は福島県の子どもたちの年間被ばく線量の基準をゆるく設定しようとした。これに怒った父母らが翌月、文部科学省前に詰め掛けた時、山本さんも駆け付けた。
 父母らは方針撤回を求め、文科省職員と押し問答になった。だが、子どもの健康を心配する訴えは聞き入れられなかった。「子どもを守る意識がない国は滅びるしかないじゃないか」。怒りが込み上げ、抗議活動で初めて素顔をさらし、カメラに向かって「福島を守る。これからも一緒に声を上げる」と宣言した。

◆カメラに向かって「福島を守る」 代償は「収入10分の1以下」

 代償は大きかった。仕事は激減。テレビコマーシャル1本で年間2000万円ほどの契約に加え、番組の出演料など同世代より稼いでいたはずの収入は「10分の1以下」に落ち込んだ。
 空いた時間に、国内外の反原発デモへと足を運んだ。どこでも大歓迎された。各地で対話を重ねるうち「主権者として政治課題にものを申すのは当然のことだと分かった。自分が独りではないという実感も得られた」。芸能界に別れを告げ、活動にのめり込んだ。
 そこで、さらに国民不在の政治を感じた。脱原発を望む世論は高まっているのに、原発の活用に固執する政府。太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーへ転換する世界の潮流に乗り遅れていた。
 「デモだけで変えるには限界がある。自分が内側に飛び込むしかない」。そう意を決して足を踏み入れた政治の世界。13年に参院議員となり、国会では原発に限らず、貧困や格差といった暮らしに密着した問題を取り上げた。
 芸能人から政治家への転身。知名度を生かした成功例は少なくないが、いったん“干された”立場からとなると、どれだけあるだろうか。衆院議員となった今も「自分はデモから生まれた政治家」との思いから、街頭での活動を大切にする。
 「新型コロナウイルス禍で、目の前の生活だけで精いっぱいという人は増えているが、政治が暴走しそうな時こそ『自分たちこそが権力者だ』と大々的に声を上げる必要がある。デモは世の中を変えるための手段の一つだ」(我那覇圭)
          ◇
 原発再稼働が間近に迫った2012年6月、首相官邸前は抗議する人の波で埋まった。あれから10年。声を上げた人たちの姿から、その後の社会を振り返った。=おわり

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