週刊新潮の表紙描いた 谷内六郎の子育て 娘の広美さん「大切なこと、父と遊ぶ中で」

2021年10月27日 07時12分

世田谷区の自宅前にある壁画「上之台遺跡」の横に立つ谷内広美さん

 「週刊新潮」の表紙絵で親しまれた画家・谷内六郎(一九二一〜八一年)。生誕百年の今年、記念展が神奈川県の横須賀美術館で開かれ、再び注目を集めている。その絵を見る者に、幼いころ抱いた恐れや楽しさを思い起こさせる画家は、子育ての時間を大切にしていた。画家の子育て観は、今なお色あせず長女・谷内広美さんの胸に残っている。
 「絵の詩人」とも呼ばれた谷内の作品には、子どもが多く描かれ、幼少期の夢のような不思議な魅力がある。親交があった美術家の横尾忠則さんら、多くのアーティストに今も愛されている。

自宅で遊ぶ幼いころの広美さん(左)と谷内六郎=谷内達子さん提供

 谷内は渋谷区の恵比寿に生まれ、世田谷区で育った。喘息(ぜんそく)の持病がありながら絵を描き続け、漫画家の近藤日出造(ひでぞう)が「驚くべき鋭敏な詩的感覚」と絶賛した想像力は、五十九歳で亡くなるまで尽きることはなかった。
 五八年に人形作家の熊谷達子(みちこ)さんと結婚し、二人の子を授かる。谷内が家族と暮らした世田谷の家は、建物こそ新しくなったが、夫婦が並んで弾いたオルガン、谷内のモザイク壁画などが往時をしのばせる。

「週刊新潮」の表紙絵「ミシンの音」 1963年、横須賀美術館・谷内六郎館蔵 ©Michiko Taniuchi

 社交嫌いの谷内が家事・育児を担当し、達子さんが外に交渉に出かける当時では珍しい家庭で、広美さんは育った。「私には父が家にいるのが日常。弟の太郎も一緒に三人で、同じ画用紙に絵を描いて遊んだ」と、懐かしそうに語る。
 「すべての子どもは天才である」と繰り返し訴えた谷内の子育ては、優しさと驚きと楽しさに満ちていた。決して叱らず、「間違ったことはしてはいけないよ」と諭すだけ。広美さんが誰かに嫌なことをされた時は「何でそんなことしたんだろう、一緒に考えよう」と、とことん子どもの話に耳を傾けた。
 弟がトイレの扉のガラスを割ってしまったことがあった。達子さんが怒って手を上げると、谷内は「ちょっと待って」。プラスチックの下敷きに絵の具で色を付け、ガラス代わりに窓にはめ「さあ、これでいい」。ステンドグラスのような美しい窓に、達子さんの怒りも消えた。

ファンから贈られたオルガン。よく夫婦で弾いていたという

 まるで子どものような心を感じさせる逸話も。広美さんと、真冬に庭でままごとをしていた時のこと。谷内は、いきなり池にザブザブ入っていった。達子さんが慌てて家から飛び出すと「(ままごとの中で)お風呂に入るところだった」と答えたという。
 優しくあること、何事も真剣に取り組むこと。広美さんは「生きていくために必要なことや自分の頭で考える大切さを、父との遊びの中で教わった」という。今は広美さんも小学六年の娘の子育て中。周囲には習い事などに追われる子も多いが、「今、この時は一生の中のほんの一瞬。塾や習い事をひとつやめて、もうちょっと子どもと遊んであげたら…」と感じている。
 週刊新潮の表紙に作品『ミシンの音』が掲載された時の「表紙の言葉」には、こうある。「ミシンを踏む音が汽車の音のリズムになってひびき、緑の布地は広い畑となり、汽車は行けども行けども畑の平野を走ります」…。子どもの頃、同じような空想をした人は多いのでは。「いつ見ても古くならない絵だと思う。今の人が父の絵を見てどう思うのでしょうか」と、広美さんは笑顔を見せた。
 「生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」は、12月12日まで横須賀美術館で開催中(詳細は公式HP)。谷内の生き方や言葉を絵とともに紹介した画文集「谷内六郎のえのぐ箱 想像のひきだし」(東京新聞刊)=写真=は、A5判で192ページ。オールカラー、2970円(税込み)。問い合わせは東京新聞出版・エンタテインメント事業部=電03(6910)2527=へ。
 文・安達恭子/写真・由木直子
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