白鵬は「強いだけ」の横綱ではなかった 批判浴びた言動も、真摯さも…記者が見た相撲人生の「陰」と「陽」

2021年9月27日 11時15分
 大相撲の横綱白鵬が引退の意向であることが27日に分かった。その強さは誰もが認めるところ。2度と破られないであろう記録をいくつも打ち立てた。(平松功嗣)

名古屋場所で土俵入りする白鵬

◆体重60キロで来日、一気に頂点へ

 自らもよく「もやしだった」と口にするが、15歳で来日した当初は体重は60キロほど。番付に名前が載って初めて取った相撲は黒星で、その場所も3勝4敗で負け越した。
 持ち前の柔らかい体、「突っ張っても吸い込まれるよう」と相手に言わしめるほど弾力がありながら、力強い筋肉。他のスポーツをやっても一流になったであろう運動神経や反射神経。それらを武器に、相撲を学び、その動きを吸収し、22歳で一気に横綱まで上り詰めた。昇進してからは8年以上、一度も本場所を休まず、巡業も出続けた。レスリングで五輪メダリストの父から受け継いだ丈夫な体も、強さの源だった。

◆1人横綱が背負ったもの

 角界を1人で背負った時期の功績も大きい。2010年春場所から1人横綱に。その年に大相撲では野球賭博問題があり、翌年は八百長問題で大揺れに揺れた。世間の冷たい視線が力士に注がれた時期は、白鵬の全盛期と重なる。
 信頼回復のために、いい相撲で勝ち続けるという横綱としての務めを真摯に果たした。年間86勝と63連勝という二つの大記録が10年に生まれたのも偶然ではないだろう。
 26歳の誕生日だった11年3月11日には東日本大震災が発生。十両以上の力士で構成する力士会の会長として、復興支援に尽力した。大相撲の歴史についても、誰よりも学んでいた。その知識にはベテラン記者が舌を巻いた。強いだけの横綱ではなかった。

◆横綱らしからぬ姿に批判も

 一方で、かち上げや張り手など乱暴な取り口、相手を小ばかにしたような猫だましや立ち合いの変化など、横綱らしからぬ姿も土俵で見せた。土俵の外でも、行司の軍配や審判委員の判断にけちをつけ、「子どもでも分かる」と批判したり、自ら物言いの手を挙げたり。土俵下での優勝インタビューで、いきなり3本締めを行ったこともあった。批判されて初めて、自分の行いが認められていないと知り、非礼と勉強不足を認めることもあった。
 ライバルがいなかったから、さまざまな記録を生んだと言われることも多かったが、それだけ傑出していたからこそ、背負うものも大きかった。結果として「陰陽」の差の激しい相撲人生を送ることになった。

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