【評伝】益川敏英さん 怒りの底に戦争体験 ノーベル賞決定にバンザイの茶目っ気
2021年7月30日 06時00分
笑って、泣いて、怒ってまた笑う。無邪気で表情豊か。エネルギーに満ちた人だった。
ノーベル賞の受賞が決まったとき会見場に現れたバンザイをした人はたぶん益川さんだけではないか。「バンザーイなんてやらないよ」と口ではいいながら、冗談めかして小さく両手を上げた。
◆師と仰いだ南部さんとの同時受賞
そして声をつまらせて涙を流した人も益川さんしか記憶にない。ノーベル物理学賞を同時受賞したシカゴ大名誉教授南部陽一郎さん(故人)の話になると、「師とあおいだ南部先生と一緒に受賞できてうれしい」。そういうとハンカチで目頭を押さえた。
著名人に半生を語ってもらう本紙の「この道」で益川さんを担当した。何度も益川さんを訪ね、子ども時代からノーベル賞を受けるまでの話をいろいろ聞いた。
◆「成功報酬ということでね」 おさい銭は入れず
とても印象に残ったのは、学問の神様の北野天満宮にお参りしたときの話だ。益川さんが京都大に赴任して間もない1972年のこと、当時は名古屋大で大学院生だった小林誠さん(ノーベル物理学賞を同時受賞)が京都にやってきたので散歩がてら天満宮まで行ったという。「成功するようにお願いをしたけれど、さい銭は入れなかった。成功報酬ということでね」と益川さんは笑った。そのとき神様から「本当に力があるならやってみろ」と言われた気がしたという。
ノーベル賞を受けて有名になってからは、街をあるいていてサインを求められることが多くなった。「実は敏英の双子の弟なんです」と冗談をいってかわしたこともあるという。
◆科学研究が軍事にかかわってはいけない
ここ数年は怒ることも多かった。防衛省の大学などに向けた研究公募問題など、戦争と科学の距離感がどこか怪しくなってきたと感じたからだった。子どものころ、空襲で目の前に落ちたのが不発弾で命拾いをした。自らの戦争体験や、平和運動に熱心だった名古屋大学時代の師、坂田昌一さん(故人)らの影響も大きく、科学研究が軍事にかかわることには反対し続けた。
連載を担当した当時、益川さんは、まだおさい銭を入れていなかった。「まだ成功したとは思っていないからね」。その後はどうしたのか。尋ねる機会がないままだった。(永井理)
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