ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳

2021年7月29日 21時47分
益川敏英さん=2015年10月27日、名古屋大で

益川敏英さん=2015年10月27日、名古屋大で

 宇宙や物質の起源に関わる「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象を理論的に説明した業績で、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大特別教授で京都大名誉教授の益川敏英(ますかわ・としひで)さん=名古屋市中川区出身=が23日午前8時40分、上顎歯肉がんのため、京都市の自宅で死去した。81歳だった。葬儀は既に家族のみで執り行われた。
 益川さんは名古屋市で生まれ育ち、同市立向陽高から名古屋大理学部へ。名大大学院では、物理学者の故坂田昌一博士の研究室で素粒子物理学を学び、1967年に同理学研究科博士課程を修了。名大助手や京大助手、東京大助教授を経て、80年に京大教授。京都産業大教授や名大素粒子宇宙起源研究機構長も務めた。
 ノーベル賞は、同じ坂田研究室の出身で5年下だった小林誠・名大特別教授(高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授)と、故南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授=2015年に死去=とともに3人で受けた。
 益川さんは京大助手時代に、小林さんとともに、今の宇宙はなぜ物質が多く、対となる反物質が少ない非対称な世界になっているのかという「CP対称性の破れ」という物理学の難問に挑み、73年に「小林・益川理論」として発表。物質の基になる素粒子のクォークが少なくとも6種類は存在することを予言した。
 当時はクォークが3種類しか知られていなかったが、95年までに発見され、理論の正しさも日米の実験で確認された。これらの功績で95年に中日文化賞、08年に文化勲章を受けた。名大は10年、宇宙の起源を総合的に研究する「素粒子宇宙起源研究機構」(現素粒子宇宙起源研究所)を発足させ、益川さんを機構長に招いたほか、ノーベル賞受賞を記念した展示室を新設した。
 益川さんは、幼少時代に名古屋で空襲を体験しており、科学と戦争の問題についても積極的に発言。ノーベル賞の受賞講演でも戦争について触れたほか、「九条科学者の会」の呼び掛け人などにもなった。16年1月から同年3月まで、本紙夕刊で「この道」を計69回連載した。
 今年4月には、日本学術会議の任命拒否問題を巡り、政府に抗議する声明の賛同者に名を連ねていた。

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