――デビューのきっかけは?
僕の兄貴(柏原崇)がJUNONスーパーボーイコンテストの本選会に出場することになり、応援に行った時にスカウトされたのがきっかけです。
――芸能界に憧れはあったのですか?
それが、全く興味がなかったんです。兄も僕も、人前に出ることが苦手だったし、その兄貴が出たコンテストも、よくありがちなパターンなんですが、知り合いのお母さんが応募して・・・という流れで。兄貴は、本選会の2,3日前まで、「行きたくない!」って言い張ってました(笑)。
――でも、その会場に応援しに行ったことがきっかけでスカウトされ、やってみたいなぁと思ったんですよね?
いや・・・、思ってなかったです(笑)。それが14歳の時で、”スカウトされてどうなるか”ということが分からなかったので。スカウトしてくださった方も、「今度、東京に遊びにおいでよ。」という感じだったんですよ。それから、「ドラマのオーディションがあるから受けてみない?」と言われて、なんとなく『人間・失格』というドラマのオーディションを受け、生徒の一人として役を頂いたんですが、それでもこれから先、芸能界でやっていくなんて発想はありませんでした。

――続けていこうと思ったのは?
今年で28歳になるんですが、思えば人生の半分を役者として活動していて、いつの間にか役者をやるからには極めていきたいという意識になっていました。
――役者として活動している間にも、ミュージシャンとしての活動もされていますよね。
中学の時にバンドを組んで、『将来大きな所でライブが出来たらいいなぁ』という夢があったんです。それは今でも持っているんですが・・・、武道館でワンマンライブをしてみたいとか(笑)。音楽は一生やっていくと思います。ご飯を食べるのと同じ感覚ですかね。

――お仕事をしている中で、辛いなぁと感じたことはありますか?
心の底から、辛いと感じたことはないです。スケジュール的にハードなときでも、現場は楽しいことが沢山ありますから(笑)。でも、最初のころは大変でした。”お芝居がしたい!”と強い気持ちを持って始めたわけではなかったので、「なんでお前はできないんだ!」と怒られても”別にやりたいことじゃないのに・・・”と不貞腐れそうになったり、怒られないように頑張ろうとしてもどうすればいいのか分からなかったですし。 学校生活でも、放課後に皆が遊んでいるような時、僕は山梨から東京に出て仕事をしなくちゃいけなかったし、仕事が忙しくて学校も休みがちになると”あいつだけ贔屓されてる”と思われたりしているんじゃないかって不安に思う頃もありました。
――逆に良かったと思ったことは?
家族や遠く離れているお祖母ちゃん、親戚にもテレビに出て活躍しているところを見てもらえたり、応援してくれる方々に「よかったよ!」って言ってもらえることが、一番嬉しいです。 それと、僕が主演した映画(カミュなんて知らない)が東京国際映画祭で作品賞を受賞して、声援をもらいながら赤絨毯を歩いたときに、いろいろやってきたことが認められたんだなぁと実感が湧きました。