「道の駅かでな」嘉手納基地を一望
嘉手納空軍基地と隣り合わせにある道の駅かでなでは、沖縄の物産やグルメを楽しむだけでなく、基地と共にある沖縄の日常を垣間見ることができます。
沖縄本島中部の北谷町(ちゃたんちょう)と沖縄市、読谷村(よみたんそん)に挟まれるように位置する嘉手納町(かでなちょう)にある道の駅かでなは、那覇空港から沖縄本島北部に向かうちょうど中間あたりにあり、長時間のドライブの休憩に最適な場所です。
地元のお土産が買える物販店やレストランの施設もあり道の駅として機能していますが、ここではぜひ基地のある沖縄の暮らしを目と耳と体で体験したいですね。極東最大規模である嘉手納空軍基地を一望できる屋上展望場と、学習展示室をのぞくことで、沖縄の歴史や日常風景を感じることができるはずです。
更新日/2015年 12月
《この記事を読む人におすすめの情報》
達人が語る道の駅かでなの見どころ
町の面積の約83%が嘉手納空軍基地と嘉手納弾薬庫として使用されている嘉手納町は、農業をする耕作地も少ないため、現在道の駅かでなには、農作物直売所が併設されていません。けれども道の駅かでなから基地を見下ろすと、フェンスと基地の防音壁との間に、狭いながら野菜を栽培している畑を見ることができます。これは黙認耕作地といい、基地内に何カ所かある畑で農業をすることが許されているのだといいます。「嘉手納町内の農家さんを支援するという意味もあって、毎月第4土曜には週末市を開催しています。この日には、野菜をはじめさまざまな加工品や、地元の作家さんの工芸品、漆喰シーサーなどの手作り品も販売されます。ミニライブもあって、地元客と観光客が一緒になって盛り上がるんですよ」と渡口さんは言います。
嘉手納町はサツマイモ発祥の地
また嘉手納町は中国から沖縄にサツマイモの苗を持ち込んだ野國總管の出身地として、サツマイモ発祥の地としても知られています。「嘉手納町の土地に合った特産品の芋を開発しようと、研究を重ね、カボチャのような鮮やかな黄色が特徴の“野国いも”が栽培されるようになりました」。芋の風味を生かした野国いものペーストは、プリンやぜんざい、ロールケーキやソフトクリームに使われて嘉手納町の特産品となっています。「この野国いもは、嘉手納町以外には出さないと決めて、毎年10月の野國總管まつりや1月に道の駅かでなを会場に開催される嘉手納町産業まつりだけで、焼き芋や生芋が販売されます。めったに手に入らないとあって、とっても人気なんですよ」。もちろん道の駅かでなでも野国いもペーストを使ったソフトクリームや、サーターアンダギー(沖縄の揚げ菓子)を食べることができますよ。
屋上展望場から見る嘉手納空軍基地
嘉手納空軍基地には4000メートル級の滑走路が2本あり、広さは東京ドーム420個分と日本最大級の規模を誇ります。これだけの大きな基地を見渡せるのは沖縄県内でも道の駅かでなだけです。県道をはさみ向かい側にある安保の丘(あんぽのおか)は、基地が見える場所として以前から修学旅行生や観光客をはじめ、沖縄の人たちも訪れる場所でした。「この場所に道の駅を作ることに意義を感じ、国や米軍とも調整を続け、道の駅を作るのに10年かかったと言われています」。基地に面して、防音壁とほぼ同じ高さである2階建て以上の建物を作ってはいけないという規制も交渉で乗り越え、4階にあたる屋上の展望場からは、広大な基地内を見渡すことができます。頻繁に離発着する戦闘機は、小さい子どもが驚いて泣き出すほどの轟音を響かせ、垂直に上昇する様子を目にすると、感動とも恐怖とも違う不思議な感覚にとらわれます。「毎日のように戦闘機を撮影に来るマニアの方もいます」。渡口さんはマニアではないですが、毎日戦闘機を見ていたら種類の見分けがつくようになったそうです。
平和学習を補う学習展示室
道の駅かでなの3階にある学習展示室は、パネルとモニターを使って、地域の歴史を分かりやすく学べる施設です。戦前嘉手納町には当時交通の要として活躍していた軽便鉄道が走り、人と物が集まる場所であったことや、基地内に接収されて消えてしまった集落があることについて学び、またヘッドフォンでトラックと旅客機と戦闘機がたてる騒音の聞き比べをすることもできます。
やはり基地に接収されてしまった千原(せんばる)という地域に伝わり、現在保存会によって、千原出身者のみで継承されている千原エイサーのビデオ映像も見ることができます。「このエイサーは男性だけの演舞で、空手の型を取り入れた個性的なものです。土地を失ってもなお残していきたい地域の誇りが感じられますよね」と渡口さん。
地域の物産を購入し、美味しいものを食べるだけではない道の駅かでな。その土地の本当の姿に触れる貴重な体験ができるはずです。