「かしまし娘」正司歌江さん死去 94歳 戦後演芸界で一時代 照枝「今はただ悲しい」花江「ありがとう」

[ 2024年1月25日 05:10 ]

かしまし娘(左から)正司照江、歌江、花江 (76年撮影)
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 三味線やギターを弾きながら♪うちら陽気なかしまし娘~と歌い出す姉妹漫才トリオ「かしまし娘」の正司歌江(しょうじ・うたえ、本名平井歌江=ひらい・うたえ)さんが19日午前0時38分、老衰のため大阪府の自宅で死去した。94歳。北海道出身。葬儀・告別式は親族で行った。長女の歌江さんは次女照枝(90)、三女花江(87)とにぎやかな歌謡漫才を繰り広げ、戦後の演芸界で一時代を築いた。

 女性漫才トリオの草分けだったかしまし娘。ギターを担当する妹2人を相手に三味線を弾いて、ツッコミを入れて人気を博した長姉が波瀾(はらん)万丈の生涯を閉じた。

 所属事務所のワハハ本舗によると、2年ほど前から寝たきりで自宅で療養していた。親族で営まれた葬儀・告別式には花江らが参列。棺に「かしまし娘」の写真などを入れて送り出された。

 長姉の死去を受け、照枝は「“これでおしまい かしまし娘~”です。穏やかな最期だったようですが、今はただ悲しい」と追悼。花江は「面倒見のよい芸達者な姉でした。歌江姉ちゃんありがとう」と感謝した。

 歌江さんは旅の一座を率いる両親の元、北海道歌志内市の芝居小屋で生まれた。1932年、3歳で上がった初舞台で客席は大ウケし、おひねりが飛び交って芸のうまみを覚えた。12歳の頃には、照枝との姉妹コンビで「天才少女漫才」と評判になった。

 多忙を極めた中、薬物に溺れるようになった。戦時中の当時、手を染めたのが「疲れを取る」との触れ込みで薬局で普通に買えた「ヒロポン」。今で言う覚醒剤だった。12歳ごろから10年近く、使用を続けヒロポン中毒となり、自殺未遂を繰り返した時期もあった。16歳で一座を飛び出すと、19歳で出産し、キャバレーのホステスなどの流転生活を過ごした。

 転機は20代に入ってから。富山で芸者をしていた頃にヒロポンと決別。56年、漫才コンビを組んでいた妹2人と「かしまし娘」を結成した。女性漫才トリオは他におらず、華のある芸とキャラクターでアイドル的な人気者になった。

 松竹芸能の所属第1号。大阪・道頓堀の角座を本拠地に、方言や文化の影響を受けにくい歌謡漫才で東京をはじめ全国区の人気を誇った。66年には第1回上方漫才大賞を受賞。3人を目標に女性トリオが次々誕生した。81年、事務所創業者の勝忠男社長から「かしまし娘の漫才はもうやりません」と告げられ、活動を休止。ただ、その後も定期的に3人で活動した。

 女優としても活躍し、NHK連続テレビ小説「おはようさん」などに出演した。80代に入ってからは左膝の手術を受けたり、心臓病で一時声が出なくなったこともあった。それでも18年に「かしまし娘」として3人でイベントに出演するなど90歳近くまで精力的に活動。晩年、3人の中で唯一着物姿だったことを思い返し「着物で動き回るのは大変やったね」と懐かしんでいた歌江さん。かしまし娘を愛し続けて天寿を全うした。


 正司 歌江(しょうじ・うたえ、本名・平井歌江=ひらい・うたえ)1929年(昭4)8月13日生まれ、北海道出身。4姉妹の長女。四女は足が不自由なため芸人にならなかった。56年に次女、三女と漫才トリオ「かしまし娘」を結成し81年まで3人で活動。2018年には上方演芸の殿堂入りを果たした。NHK大河ドラマ「新選組!」(04年)にも出演。96年に大阪市文化功労表彰、99年に文化庁長官表彰を受賞。

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