高橋克実「どんな仕事が来てもありがとうございます」長い苦労で培った温かみ 61歳今も変わらぬ野心

[ 2022年10月16日 08:15 ]

トレードマークの笑顔を見せる高橋克実(撮影・沢田 明徳)
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 【俺の顔】コミカルな役から悪人までさまざまな表情を見せる俳優の高橋克実(61)。37歳で出演したフジテレビ「ショムニ」でのブレーク以来、俳優だけでなく情報番組の司会などとしても活躍してきた。そして14日に公開された「向田理髪店」で満を持して映画初主演を務めた。仕事への情熱が尽きることはない。(糸賀 日向子)

 そり上げられた髪に垂れた目と眉で「はっはっは」と大きな口を開けて笑う。その姿からは親しみやすさがにじみ出ている。「小さい頃は眉が垂れてるし髪の毛も天パだし、嫌でしたよ。でも役者始めた頃は二枚目でいけると思ってました。ある時、勘違いだと気付いて、今の路線になりました」

 学生の頃からクラスでモノマネを披露したり、行事でコントするなど目立つ存在だった。ただ、当時は役者になりたいという思いがあったわけではなく「ゲームもない時代だから、テレビがとにかく娯楽の時代。当時の中高生と同じように、ショーケン(萩原健一)さんとか(松田)優作さんに憧れて、モノマネをしていました」

 高校卒業後に予備校に通うために上京。「ただ漠然と、やってみるかと思った」と22歳の時に役者を目指し始め、1987年に劇団「離風霊船(りぶれいせん)」に入団。そこで出会ったのが「向田理髪店」の森岡利行監督だった。

 ともに俳優として活動していた2人は黒澤映画など名作のビデオを見て、毎日のように語り合った。「森岡君の知識はとにかく細かくて凄かったんです。2人で話していた時間が映画の深みにはまっていったきっかけの一つでしたね」

 下積み生活が長く続き、アルバイトで生計を立てた。「田舎に帰っておふくろの握った味噌おにぎりを食べるともう4畳半で生活するのは嫌だと思いました。でも30歳前に田舎に帰って若い人の下で働くのも嫌でしぶしぶ東京に戻ってきてました」

 テレビドラマは1993年にNHK「トーキョー国盗り物語」で初めて出演。その後もほとんどが一場面だけの出演だったが、爪痕を残すことは常に心がけた。

 「医師役でズボンの裾も白衣の袖も全部まくって、勝手に荒っぽい人の設定にして。セリフを荒っぽく言ってたら“邪魔”と言われましたよ」と大笑い。それでもめげずに視聴者やスタッフの印象に残るためにさまざまな手法を取った。

 転機となったのが98年。同名漫画が原作のフジテレビ「ショムニ」に人事部長役で出演。部下の人事課長役だった故伊藤俊人さんと、これまた台本にない芝居を勝手に足していった。「テストでやり過ぎなほどアドリブをやってたら、同じスタジオで撮影していた他の現場の人が面白いと見に来るようになったんですよ。監督にはほとんど却下されましたけど」

 2人の掛け合いが視聴者の間でも話題を呼び、原作とは違い、ドラマでは人事部がどんどんクローズアップされた。「あれはうれしかったですね。自分たちの挑戦が報われた瞬間でした」

 その後はフジテレビ「トリビアの泉」「爆笑レッドカーペット」と大人気番組のMCを次々に任され、老若男女から知られる存在に。15年から20年には「直撃LIVE グッディ!」で情報番組の司会業にも進出した。

 そして「向田理髪店」で映画初主演。森岡監督の“抜てき”だった。演じたのは世話好きな田舎の理髪店店主。監督には「何でも言ってください」と伝えたが、返ってきた答えは「あなたのままで大丈夫です」

 昔からよく知る間柄だからこその演出プラン。「博多弁はかなり練習しましたが、それ以外は田舎の人間なんで、共感する部分が多かった」とほぼ等身大で臨んだ。

 長い苦労で培われた温かみと、多くの作品を支えてきた確固たる演技力。画面を通してにじみ出てくる“味”が魅力だ。「売れなかった時期が相当長かったんで、どんな仕事が来てもありがとうございますって気持ち。この記事を読んだ人は仕事を下さい。どんな仕事でも大歓迎ですよ!」。61歳、まだまだ野心でいっぱいだ。

 ◇高橋 克実(たかはし・かつみ)1961年(昭36)4月1日生まれ、新潟県三条市出身の61歳。今年8月に同市のPRアンバサダーに就任。NHK大河ドラマ「龍馬伝」、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」などに出演。舞台「女の一生」が18日から東京・新橋演舞場などで上演される。2児の父。

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