「欽どこ」お母さん役 真屋順子さん死去…病と闘い続けた女優魂力尽く

[ 2018年1月5日 05:30 ]

萩本欽一とのほのぼのとした掛け合いで「お母さん」像として定着した真屋順子さん
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 テレビ朝日の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)」の母親役などで知られた女優の真屋順子(まや・じゅんこ、本名高津詔子=たかつ・しょうこ)さんが昨年12月28日に死去していたことが4日、分かった。75歳。大分県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行った。昨年7月にはTBS「爆報!THEフライデー」で、ほぼ寝たきりの闘病生活が明らかになっていた。

 この日、都内の自宅で長男の高津健一郎さんが本紙の取材に亡くなったことを認めた。「詳細は控えたい」と、最近の状況や死因については明かさなかった。7月の「爆報…」が最後の仕事となったが「ずっと闘病していたので覚悟はしていた」と話した。

 「爆報…」で真屋さんは「欽どこ」で三つ子の娘「わらべ」の一人で、かなえを演じた倉沢淳美(50)との再会を熱望。20年ぶりに対面すると、帰ろうとする倉沢に「帰っちゃ駄目。もう少しいて」と懇願する場面もあった。

 真屋さんは76年スタートの「欽どこ」で、メインの萩本欽一(76)の妻役でレギュラー出演。萩本とのほのぼのした掛け合いや「わらべ」の人気も手伝い、昭和後期の「お母さん」像としてお茶の間に定着した。番組は最高視聴率42・0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し、放送10年の長寿番組に。洗剤「ママレモン」のCMキャラクターも長年務めた。

 私生活ではドラマで共演した俳優の故高津住男さん(享年74)と69年に結婚。2000年代になると、真屋さんは相次ぐ病魔に襲われた。00年に脳出血で倒れ、左半身まひなど後遺症が生じた。ライフワークと位置づけた高津さん演出の舞台「出雲の阿国」にもう一度出るとの思いを原動力に03年には車いす姿で復帰した。04年には脳梗塞を発症するも05年に再び同演目で復帰。舞台でつえもなく立ち上がり、観客を驚かせた。08年には講演で「さんずの川は、六文銭もない貧乏だから渡れなかった」と明るく語るなど元気な姿も見せた。

 10年には高津さんが亡くなったショックもあり心不全に。11年には大動脈瘤(りゅう)が見つかり、4時間に及ぶ手術を受けるなど晩年は病と闘い続けた人生だった。

 ◆真屋 順子(まや・じゅんこ)本名高津詔子(たかつ・しょうこ)。1942年(昭17)1月8日生まれ、大分県出身。58年、松竹音楽舞踊学校入り。61年に俳優座養成所へ入所。64年、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」でテレビ初出演。77年の時代劇ドラマ「人形佐七捕物帳」の演技が高く評価され、同年度京都市民映画祭テレビ映画部門女優賞を受賞した。

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