日野美歌 脱「氷雨」で広がった世界…作詞活動で転機

[ 2015年12月27日 12:00 ]

多彩な歌手活動で輝き続ける日野美歌

 「氷雨」のヒットで知られる日野美歌(53)が、新たな世界を見つけたようだ。戦後70年を機にリリースした「知覧の桜」には平和を祈る自身のメッセージを込めた。今では横浜の港を舞台にジャズを歌うこともある。演歌の歌姫を変えたものは一体何だったのだろうか。

 プライベートでも大きな転機があった。31歳の時、5年間の結婚生活にピリオドを打った。その直後、作曲家の馬飼野康二氏から「詞を書いてみないか」の誘いがあった。ペンネーム「歌凛(かりん)」で作詞活動を開始。そして、心機一転、長年、所属していた芸能事務所からも独立。全てを自ら切り開いていく覚悟を決めた。

 「自分に詞が書けるなんて思わなかったですから、できた時は驚きました。周囲からも“本当に美歌が作ったの”と言われましたから。私にもできるんだと少し自信になりましたね。伝えたいメッセージを書けるのが楽しい」

 どんな花より桜が好き。初めて作った歌は、人生の応援歌「桜が咲いた」。寒い季節をひたすら耐えて、春になると必ずピンクの花をつける。満開の時は短いが、多くの人を楽しませ、惜しげもなく散る。自作の歌は、「桜のワルツ」「桜空」と続いた。今、歌っている「知覧の桜」は、心の中にずっと大切に温めておいた。終戦70年となる今年、満を持してリリース。尊い命をささげた特攻隊員を思い、反戦、平和への願いを込めた。だから、安保法制を強引に成立させた政権には不安もある。

 「以前、知覧の特攻平和会館へ行きました。展示されている手紙などを見て、若者たちの命が犠牲になった時代があったんだとあらためて知りました。私たちは二度と戦争を繰り返してはいけないと心に誓いましたね。今の政治に危機感を感じてます」

 そんな思いも抱えながら、現在、日野は多彩な顔を披露している。住んでいる横浜のイメージに合わせたムーディーなミニアルバム「横浜フォール・イン・ラブ」(2008年)もプロデュース。タイトルになったオリジナル曲をはじめ「港が見える丘」「蘇州夜曲」「海を見ていた午後」などの名曲をカバー。ライブでは老若男女、世代を超えたファンを新たなジャンルで魅了。ようやく「氷雨」から脱皮したようだ。

 「よく“本当に日野美歌さんですか”と言われます。若かった頃は周囲の人たちに全てを支えてもらっていたけど、今は自分でいろいろやってます。でも、好きな歌を歌えるので生きているという感じはします」

 ♪外は冬の雨まだやまぬ~。どこか忙しい年の瀬に、なぜか、またあの歌を聴きたくなった。

 ◆日野 美歌(ひの・みか)本名同じ。1962年(昭37)12月21日、神奈川県出身の53歳。中学生の頃、日本テレビ「スター誕生!」に挑戦するが合格ラインには至らず。82年、「私のあなた」でデビュー。2003年、ライブイベント「Live Sakura Cafe」を開催。毎年春、同イベントを行っている。

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