赤星憲広氏 阪神・岡田新監督は「視野の広さ」と「鋭い勝負勘」持つ指揮官 第1次政権で05年リーグV

[ 2022年10月18日 08:00 ]

06年、練習中に話をする岡田監督(左)と赤星(撮影・米田充利)
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 第2次「岡田阪神」が正式に発足した。阪神の第35代・岡田彰布新監督(64)は前日16日の就任会見で来季構想について言及した。赤星憲広氏(46)は、04年からの5年間、第1次岡田政権でプレーし、05年のリーグ優勝では1番打者として貢献。視野の広さと、鋭い勝負勘を併せ持つ指揮官と評し、V奪回へ大きな期待を寄せた。

 06年から選手会長を務めていたため、岡田監督とは、よく話をした。その中で驚くことが何度もあった。「〇〇(選手)はどこか痛めているんか?」、「△△(選手)は本当は相当ガマンしているんとちゃうんか?」と。

 トレーナーから選手の状態について報告は受けているけど、岡田監督は、その選手は休ませた方がいいと思っていたみたいだ。選手は少々痛くてもポジションを奪われたくないのでライバルにチャンスを与えたくないもの。だから無理をしても試合に「出られます」と言う。岡田監督は選手の気持ちを理解した上で「休ませるタイミングを探しとくわ」と言っていた。例えば相手投手との兼ね合いを見ながら、しばらくしたらその選手に休養を与えたりしていた。

 ある時、岡田監督から「あした休養な。球場に来ても試合終盤まで寝といたらええから」と言われたことがある。連戦が続いていたので一度リフレッシュさせた方がいいと判断されたんだと思う。スタメンは、ある右の外野手だった。しかし試合が始まると序盤にリードされる展開となった。そうすると岡田監督から「すまん、次、代打行ってそのまま守りに就いてくれるか?」ということもあった(笑い)。

 また、僕に対して盗塁のサインは一度しか出されなかったと思う。実際には、入団後、しばらくは野村克也監督からサインが出たことがあったかもしれないが、少なくともレギュラーを獲ってからは、いつもグリーンライト(走れる時に走る)だった。しかし08年6月1日の日本ハム戦(札幌ドーム)、延長10回1死一塁でベンチから盗塁のサインが出て、「え? サインが出た」と驚いた記憶がある。コンディションなどさまざまな不調もあって直近はなかなかスタートを切れていなかった。その場面でも3―3の延長戦だったので100%の自信がないと走りにくい状況だったが、それを見かねた岡田監督が強制的に背中を押した。結果は、その二盗(5月25日以来7日ぶりの盗塁)成功から2得点して、岡田監督の勝負勘でつかんだ勝利だった。

 僕の知っている岡田監督は、選手個々の細かい状態からグラウンドすべてを見通す視野の広さ、そして勝つために勝負を仕かけていく指揮官だった。(スポニチ本紙評論家)

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2022年10月18日のニュース