梶の葉物語

神山奉子 著
四六判・並製・448ページ
定価1,650円(本体1,500円+税)
23/03
ISBN978-4-88286-847-7

 

 


幾筋もの水流、丸い水玉、雫型のしたたり。
フーッと息を吐いて、松乃はのみを置いた。
 ―父への崇拝を胸に、のみを握り続けた女彫刻師の生涯。

彫刻の技は刀にあり
刀鋭利ならずんば手腕を施すに由なし
 ―口伝より


<著者あとがき>
 『梶の葉物語』は、信州上諏訪の宮大工及び木彫の一門「立川(たてかわ)流」の四代目に相当する立川松代湘蘭をモデルとした物語である。物語中、登場人物は本名ではなく虚構の名を用いている。本名のまま記述すると、記述してある事柄すべてを事実として受け取られることを危惧したからである。実際、湘蘭に関する記述は多くはなく、誕生、死、結婚、一子の誕生、主たる彫刻作品に関すること以外は、日々の暮らしのさま、心情等、ほとんどが著者の想像による虚構(フィクション)である。実在しない登場人物も多い。
 立川流を創設したのは、初代立川和四郎(わしろう)冨棟である。和四郎の名は二代目冨昌、三代目冨重と受け継がれたが、四代目以降は和四郎を名乗る者は無い。湘蘭は三代目冨重の弟、専四 郎(せんしろう)冨種(啄斎)の娘である。女性が男性に伍して仕事をすることは受け入れられなかった明治の世にあって、敢然とのみを振って木彫りを続けた湘蘭を支えたものは、一子を育てるための糧を得ねばならないという事情のみならず、父の跡を追いたいという強い願いがあってのことと思われる。
 湘蘭より十一年後の生まれの上村松園が、日本画壇に名を成し、文化勲章を授与されたことに鑑みると、ジャンルの違い、仕事をしていた場所(京都と諏訪)の違いはあっても、湘蘭の存在が世に知られることが少ないのは無念な思いがする。「人と比べることなど詮もないこと。われは彫りたいから彫りたるまで」と、湘蘭は笑うであろうが。
 「梶の葉」は、周知の通り、諏訪大社四社(上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮)の御印である。先が三つに分かれた葉と根をデザインした御印は、各社の垂れ幕などに印されている。

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 この物語を書くに当たって、湘蘭女子の曾孫に当たる立川玄八氏には、資料提供他、さまざまな御支援をいただき、感謝に堪えません。心より御礼申し上げます。表紙デザインの元となった彫刻下絵もお借りしました。ただし、この下絵は描き手が判然としないこともあり、表紙カバー出典は、敢えて記しませんでした。上部は空を飛ぶ龍、その下は植物、動物が生きるさまを描き、天と地を表しています。
 目次の挿画は、貝の棲む湖で、水の世界。天・地・水と、乾坤を表したつもりです。
 また、信州には独特の方言があるかと思いますが、著者の非力により把握できず、多少方言っぽい言い方を加味するのみになってしまいました。どうかご容赦ください。
 書いている間も校正の途中でも、どうしてこう食べること、着ることが繰り返されているのだろうと、我ながらうんざりしました。でも、ふっと気付くと、不思議な感覚になっていました。こうした繰り返しそのものが、日々の暮らしそのものなのではないか、人が生きてゆくとは、こういうことなのではないか──と。また、この物語を読んでいくと、人は死ぬもの、という思いに打たれるかもしれません。ああ、本当に、人は生まれて死んでゆくものなのですね。「生まれて」と「死んでゆく」との間に「生きて」があるのですが、私自身、若いころは思いもしなかった「死の近さ」が、ストンと胸に落ちました。
 本当はもっと何度も上諏訪の地をお訪ねして取材させてもらいたかったのですが、折からのコロナ禍で訪ねることもままららず、中途半端な調査のまま書いてしまいました。
 現立川宅は基本的に、江戸末期に啄斎棟梁が建てたままです。玄関を入ると、急こう配の階段を湘蘭さんが降りてくる足音が聞こえる気がします。湘蘭さん、今は何を彫っていらっしゃいますか……。
  二〇二三年睦月