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Monthly FACE 〜極める人々〜

高橋美香さん(写真家)

Profile

1974年生まれ。広島県出身。パレスチナやアフガニスタン、エジプトなど、世界中のさまざまな“困難”に立ち向かう人々の日常をテーマに撮影。近年は東日本大震災の被災地での撮影やボランティア活動もしている。著書に『パレスチナ・そこにある日常』(未来社)。

オフィシャルブログ

“日常”あってこその“ニュース”

メディアが報じる数々のニュース。その地続きにある“日常”を映していく―高橋美香さんは、「世界中の、さまざまな困難に立ち向かう人々の日常」をテーマに活動を続ける写真家。パレスチナやアフガニスタン、エジプトをはじめ、国内では沖縄や東日本大震災の被災地でもある岩手県の宮古に足を運んでいます。

なかでも、パレスチナは10年以上追い続けている地域。2010年にはパレスチナに暮らす“普通の人々の普通の暮らし”から見える“不条理”や“占領の実態”を描いたフォト・ルポルタージュ『パレスチナ・そこにある日常』が未来社から発行されています。

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パレスチナとエジプトの国境にある町・ラファのフェンス越しに、エジプト側のラファに暮らす家族と話す男性

「何か起きた時だけ報道されて、少ししたら取り上げられなくなる…その繰り返しなんです。パレスチナなら、『戦争が起きました』『空爆されました』『侵攻されました』。そういう部分しか取り上げられません」

60年以上続いている“パレスチナ問題”。8月にもパレスチナ自治区とイスラエルの停戦が新聞やニュースで報じられているように、「パレスチナ」という名前を耳にすると、紛争のイメージが浮かぶ方も少なくないのではないでしょうか。

「どういう人たちが、どんな暮らしをして、何を考えて生きているのか。私たちが目にする彼らの姿はニュースで報じられる一瞬だけですけど、それはあくまで日常の延長にあるものなんです。同じ地球の上でどんなにつらいことが起きているのか―彼らの日々の暮らしを知ってもらうことで、もっと伝わると思うんです」

原点は高校時代のミニコミづくり

高橋さんが写真やジャーナリズムに興味を持ったのは、高校生の頃に熱中していたという“ミニコミづくり”がきっかけ。自主制作の小規模な雑誌のようなもので、当時好きだったバンドのライブレポートなどを書いていたといいます。

「アルバイトをしてお金を貯めて、全国のライブに足を運んでいました。その時に、各地のファンの人たちがミニコミをつくっていると知ったんです。それで、自分もつくり始めました。ミニコミを読んだ人から、反応があるのがおもしろかったです。『このレポートが良かったです』なんて手紙が来ると、すごい嬉しかったですね」

文章を書くことの楽しさを知った高橋さんは、ジャーナリストを養成する専門学校に進学。ルポライターのコースを専攻していましたが、授業の一環で撮っていた“写真のおもしろさ”に出会います。

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パレスチナ問題の火種となっているエルサレム。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教それぞれの聖地とされています

パレスチナへの興味が向いたのも、専門学校の在学時。業界の第一線で活躍する講師陣の一人の「食っていけようが食っていけまいが、あきらめずに10年間追えるテーマを持て」という言葉を受け、頭に浮かんだのがパレスチナでした。

「私が中学生の頃にテレビを通じてみたパレスチナの姿が、印象に残っていたんです。戦車に向かって石を投げている少年の姿を見て『私が生きている世界と違う場所があるんだ』と感じました」

“私の視点”から見た多角形の一面を

実際にパレスチナに足を運んだのは、大学を卒業した翌年(2000年)のこと。しかし、直後に「第二次インティファーダ」という、イスラエルに対するパレスチナの抵抗運動が激化し、帰国することに。そして、同年の年末に二度目の訪問。高橋さんのパレスチナへの向き合い方を決定的に変える出来事が起こります。

パレスチナには『シャハーダ』と呼ばれる証明書が存在します。イスラエル軍や抵抗運動、自爆攻撃などで亡くなってしまった人の家族への証明書のようなものです。高橋さんは、とある女性に、シャハーダを抱えた状態で写真を撮ってほしいと頼まれました。

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宗教上の理由から撮影が敬遠されがちなイスラム圏の女性。しかし、それは建前で撮影者が女性ならOKという場合もあるそう

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記事で紹介しているエピソードの、シャハーダを抱えた女性。

「女性が抱えている写真の男性には、奥さんと一人の赤ちゃんがいました。でも、男性が亡くなったショックで奥さんの精神が不安定になり、実家に帰ってしまったんです。赤ちゃんの世話は、その女性(男性の母親)が世話をしているということでした。…正直、『撮ってください』と言われて、カメラを構えることができませんでした。これまでニュースで耳にしていたような悲惨な事件が、実際に今私の目の前にある、この人は悲しみのふちに立っているのだと、真正面から向き合わされたんです。私は、その時、案内をしてくれていた現地の友人に『撮れない』と言いました」

普段は能天気な性格だというその友人は、いままで高橋さんが見たこともないような真剣な眼差しで、高橋さんへと言葉を投げかけます。「お前が撮らないでどうする。もしここでお前が撮らなかったら、この家族が味わっている苦しみや悲しみっていうのは、どこにも、誰にも伝わらないんだぞ。お前が撮らなきゃダメなんだ」と。

―現地に足を運ぶ度に友人が増え、いまでは家族のように接する人も。衝突のニュースを見る度に胸を痛めますが、パレスチナの写真を撮ることは決してやめません。

「確かに悲しいことも少なくないですが、その分、楽しいことも増えるんです。友達が結婚したり、子供ができたりすると『早く会いに来い』と電話が掛かってきたり―私は、自分の視点でパレスチナのことを伝えていきたいと思っています。この地が抱える問題ばかりがクローズアップされますが、それはあくまで多角形の一面。新聞やテレビの伝えていることは嘘ではないけど、決してすべてではないんです。こういう面もあるんですよと伝えることで、私の大切な友人たちの暮らしを知ってほしいんです」

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羊肉をハンバーグ状にしたものをトマトやタマネギと焼き、ピタパンに挟んだカバブサンドを販売している親子

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「くつろいだ表情をしているので撮るのが好き」と話す、理髪店での一枚