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國弘保明:語学教育に於ける文法翻訳法と直接法 37

日本橋学館大学紀要 第 14 号(2015) 研究ノート

語学教育に於ける文法翻訳法と直接法

∗1
國弘 保明

語学教育に於ける教授法には様々あるが、教授時に学習者の母語を使う教授法と使わない教授法

に大別できる。前者は言語横断的な教授法であり、代表例には文法翻訳法が挙げられる。また、

後者は一般に直接法と呼ばれ、「言葉と観念を直接結合させ」ることを重視するとしている。(日

本語教育学会(1990)p.107)近年、コミュニケーション能力育成を重視する言語教育に於いては直

接法が重用され、文法翻訳法が省みられることは少ない。しかし、文法翻訳法はもはや過去の遺

物としてしまってもよいものだろうか。本論では大学課程あるいは大学予備教育課程に於ける語

学教育を念頭に、文法翻訳法と直接法の特徴と功罪をまとめ、言語教育に於ける文法翻訳法と直

接法の関係について述べたい。

……………………………………………………… キーワード ……………………………………………………


文法翻訳法 直接法 媒介語 文法 高等教育

1.文法翻訳法 かっていないのであるから無理もない。(中略)
この音読は大抵の場合、語句を音の流れや音のパ
1.1 授業風景の描写から想起すること
ターンとして取扱うよりも、単語を単位とした分
解的なもので、教師の訂正は単に音読している生
以下に、学校での英語の授業の様子を表した文
徒に対した個人的なもので、しかもその生徒は後
章を掲げる。
でしなければならない訳読に気を取られて、その
訂正に大して注意しない。
(中略)
教師は「今日は何ページの何行目から」と言っ
そこでいよいよ先生の音読が始まる。しかし生
て、出席表を見て一人の生徒を指名する。生徒は
徒の待っているのは先生の音読でなくて訳であ
立って音読をする。つかえながら、一度に読むべ
る。大多数の生徒は十分に調べていないから、こ
き単語と単語とを別々に離したり、あるいは切り
の先生の訳を筆記するのが、授業中の最も重要な
離すべき単語をくっつけたり、発音を間違えたり
仕事である。先生の訳がすむと次の生徒が当てら
しながらある分量を読む。何しろ意味が十分に分
れて、また同じ事を繰返す。このようにして、生

2014 年 9 月 23 日受理 徒が耳にするもの、少なくとも注意して傾聴する


A study on the grammar translation method and the direct ものは、日本語である。英語は単に眼によって漠
method.
*1 Yasuaki KUNIHIRO 然と認識され、訳読のヒントを得るための印とし
日本橋学館大学リベラルアーツ学部

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38 日本橋学館大学紀要 第 14 号(2015)

て取扱われるのみである。(後略) et.al(2013) p.231)


といった、日常生活では用いられないような人工
形ばかり音読はするものの、発音は重視されな 的な文が使用されることもある。
い。英語そのものよりも訳出された日本語に重点
が置かれる。この特徴は、かつて私が学校で受け 1.3 文法翻訳法に対する評価
た英語教育にも通じるものがあるが、これは近年
1.3.1 文法翻訳法の長所
の授業の様子を描写したものではなく、戦前に刊
石田(1995)は文法翻訳法を「ある意味では翻訳
行された本に「訳読を取り入れた授業」として紹
を与える教授法ほどやさしい教え方はない。時間
介された文章の一部を現代語に変えたものであ
の無駄もない。」と評している。たしかに教員は
る(1)。私が中学から高校時代を過ごしたのは 1988
目標言語に対する知識を既に十分持っている(2)。
年から 1994 年までだが、そこにも 60 年近く前の
文法翻訳法ではその知識をドリルや訳出作業を
名残が感じられたことは学校英語教育の必然で
通じて学習者に身につけさせることが主な作業
あろうか。
となる。教材のテキストが新出語彙と扱うべき文
法を抽出してあれば、教える項目に迷うこともな
1.2 文法翻訳法の特徴
い。また、新出語彙の訳語を与えた上でテキスト
前節に文法翻訳法の授業風景を挙げたが、この の一文を逐語訳しながら、それをよりこなれた訳
教授法の特徴を挙げると以下のようになる。 文にしていく作業は目標言語というより母語の
まず、教材として目標言語で書かれたテキスト 作業であり、母語話者にとっては困難な作業とは
を素材とし、テキスト中に表れる新語とそれに対 いえない。学校教員は多忙であることを考えれば、
応する母国語訳が与えられる。いわゆる「語彙リ 教える側の負担が少ないことも、大きなメリット
スト」である。文法翻訳法ではテキストの文単位 である。
の正確な訳出に重きを置くため、未習語彙の語義 つぎに、訳出させることは、内容理解の指標に
を推定するような作業は行われない。 なる。語彙・文法の正しい理解がなければ適切な
授業はテキストの音読から行われることが多 訳出ができないことはいうまでもない。また、複
い。しかし、音の正確さには無頓着である。 数の意味を持ちうる文であっても、前後の文脈に
続けて、文単位あるいはパラグラフ単位での訳 合せて適切に訳出できれば、その学習者はテキス
出が行われる。ここでは正確な訳出のために、知 トの内容を理解している可能性が高いといえる
識を持つ教師が援助を行う。 だろう。
この際、並行して文法項目の説明も行われる。
また、目標言語と母国語の相違を意識させるこ
文法説明の際には伝統的な文法用語を積極的に
ともできる。「主語+動詞+目的語」といった語
活用する。文法項目の定着のためには活用表、ド
順で表れる英語を「主語+目的語+動詞」といっ
リル、訳出が行われる。ここではあくまでも目標
た語順で日本語として訳出する作業は、常に 1 文
言語の文法を学ぶことが主眼に置かれるため、こ
レベルで双方の構造を意識させることになる。
のような活動中に用いる文章に自然さは求めら
れない。有名な例で言えば、所有表現あるいは 3
1.3.2 文法翻訳法の短所
音節以上の語の比較級を学ばせるために、
まず、ヒアリングやスピーキングの能力の養成
The cat of my aunt is more treacherous が困難である点が挙げられる。文法翻訳法では音
than the dog of your uncle. (私の叔母の猫はあ
声面よりも訳出の正確さが重視されるため、授業
なたの叔父の犬より不誠実だ)(A. P. R. Howatt,

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中に音声面の指導が行なわれないことが多い。 れによりラテン語の学習は実利的なものではな
正確な訳出を重視することは一語一語に注意 く、暗記や思索といった知的訓練のためのものと
を向けることになり、その結果、目標言語に対す なるに至った。
る反応が遅くなってしまうことも挙げられる。ま 活版印刷術の発明により、古代ギリシア・古代
た、いちいち訳出しなければ理解できなくなる悪 ローマの古典が復刻・普及・再評価され、ルネサ
癖を身につけさせてしまうこともある。 ンスの流れにつながる。このなかで、時代を経て
また、最重視されるべき訳出作業の過程が場合 変容した俗ラテン語ではなく古典ラテン語への
によっては軽視され、教員から「正しい訳」が与 関心が喚起された。
えられさえすれば、それだけで学習者が満足して また、興味深いことに、古典語への関心が高ま
しまう本末転倒な学習になってしまう場合もあ るなかで、知的訓練や形式的な言語教育を批判す
る。 る言説が見られるようになる。いわゆる「ルネサ
さらに授業の面からいえば、「音読→学習者に ンス的言語教育改革論」である。その一人、チェ
よる訳出→教員による指導」という単調なものと コの大司教であったコメニウスは絵や図を用い、
なりがちで、「生徒は学習に興味を失いがちとな それに 4 言語で訳語を付けた「視覚教育用絵本」
る」
(伊藤(1984)p.46)という指摘もある。 を著わした。視覚的教材を言語教育に用いること
は、現代の言語教授法にも通じる。
1.4 文法翻訳法の歴史的背景 並行して、1492 年にはスペインのネブリッハ
がヨーロッパ最初の国語文法書となる『カスティ
古代ローマに於いては、海洋民族のギリシア人 ーリャ語文法』を刊行する(3)など、近代語文法
が用いるギリシア語が共通語化していた。このた が体系化された。これに基づく言語教育も行なわ
めローマ貴族はギリシア人を雇い、子弟へのギリ れるようになり、文法を教え、語を暗記すること
シア語教育を行なった。これはネイティブスピー から始まり、目標言語と母国語を相互に翻訳する
カーによる一種の直接法である。我が国に於ける 文法翻訳法も継続して行なわれた。
明治から戦前の英語教育などを想起した場合、翻
訳法では発話能力が十分に養成できないことか 2.直接法
ら直接法による教育が始められたと一般的には
想起される。しかし、名柄 et.al (1989)は先述の 2.1 直接法の特徴
ギリシア語教育を評し、
「(翻訳法)に対する反発
教授時に学習者の母語を活用する文法翻訳法
として直接法 の伝統が始まったのでは ない」
とは異なり、直接法は目標言語をそれのみを使っ
(p.21)としている。
て指導し、習得することを目標としている。これ
しかし、ローマ帝国が地中海を取り囲むように
は幼児の第一言語習得過程をモデルとしたもの
拡大し、その版図でラテン語が用いられるように
である。幼児は周囲との触れ合いを伴う成長過程
なるにつれて、南ヨーロッパはもとより、北アフ
の中で自然に第一言語を習得する。当然、ここに
リカ・中東を含む広い範囲での公用語はラテン語
は第一言語以外の言語は介在しないし、教室活動
へと転換を見せる。
のような特別な学習も存在しない。また、習得過
西ローマ帝国滅亡により中世に至っても、当初
程も文法翻訳法のような「目標言語を読んで母語
ラテン語は公用語であり続けた。しかし時代が進
に訳出する」「母語を目標言語に書き換える」と
むにつれて、民族言語の台頭、あるいは言語の変
いった「読む」
「書く」ではなく、あくまでも「聞
容により、ラテン語は死語化することとなる。こ
く」「話す」技能が先行することに注目する。こ

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の観点から直接法は指導時に学習者の母語を介 知らなくても教えられるという点もある。これは
在させることなく目標言語で直接的に、口頭練習 事実上どのような母語を持つ学生にも教えられ
に注力して「聞く」
「話す」能力の醸成をはかる。 るのみならず、あるクラスに異なる母語を持つ学
上記の目標を達成するために、直接法にはいく 習者が混在していても対応できることを意味す
つかの原則が考えられる。これらはいずれも、直 る。実際に、国内での日本語教育を考えた場合、
接法が幼児の言語習得過程をモデルとしている この事情もあって直接法を採用している場合が
ことに端を発する。 大多数であろうと想像される。
まず、適切な例文を提示することにより目標言
語の直観を養うことである。幼児は自らに必要な 2.2.2 直接法の短所
語彙や表現から獲得する。この観点から直接法で まず挙げられるのが、学習者側の不安である。
は日常生活に必要な文や語彙が優先して教えら 教員は学習者の学習状況に応じて発話をコント
れる。 ロールするが、それでも学習者にとっては「よく
語彙に関しても、具体的なものについては実演、 わからない言葉で話しかけてくる」恐ろしさは拭
実物、または絵を使って教えられる。抽象的な語 えない。実際に筆者が模擬授業として、日本語教
彙は問答による連想方式で教えられる。 育を専攻する学生にクラスで誰も学習経験のな
文法も帰納的に教えることを原則とする。文法 い言語(6)を直接法で教えたところ、
「何言ってる
を教授項目として独立して取り出して、文法用語 か、わかんないよ」という不安と不満の声が囁か
を使って教えることは直接法の志向するところ れた。これは直接法を体験させることが目的のク
ではない。全ての学習項目は教師と学習者間のコ ラスであったため、ある意味で当然の反応ではあ
ミュニケーションの中で、段階的に積み上げられ った。しかし、既習事項から未習事項へと授業プ
ていくべきものとする。 ランを組み立てた上でもこのような反応が出て
これらの指導法が端的に表れているのが、ベル きたことには留意されるべきであろう。
リッツのガイドライン(4)である。 また、教え方が難しいということもある。媒介
語を使用せず学習項目を理解させるためには、既
2.2 直接法に対する評価 習事項を利用して未習事項を説明する必要に迫
られるため、授業全体のカリキュラム作成や、授
2.2.1 直接法の長所
業 1 時間ごとの教案作成に神経を使わなければ
最大の長所として、媒介語を用いないため、
ならない。また、媒介語を使用しないため、語彙
母語の影響が少ないことが挙げられる。習熟し
の導入に関して具体的なものは実物や写真など
た外国語話者から時々耳にするものに、「チャ
が必要になるし(7)、抽象的なものについては学習
ンネルが変わる」という表現がある(5)。即ち、
者がその意味内容を想起できるような誘導が必
外国語を話しているときには母語を介在させず、
要となる。このことは、微妙な点について学習者
外国語で物事を考えているということである。文
が本当に理解しているかどうかの確認が難しい
法翻訳法の短所として「目標言語に対する反応が
ことも意味する(8)。
遅くなる」点を挙げたが、直接法はこの問題点を
媒介語を使用しないことは、まわりくどい説明
解決し得る。これは直接法が媒介語を用いず、言
で時間がかかる事態を招く場合もある。とりわけ
葉が使われる状況下で言葉の意味と結びつけて
学習が進み、抽象的な内容を扱うようになってく
教えるために可能となる。目標言語と学習者の母
ると、このような事態に遭遇することが増えてく
語の意味体系は必ずしも一致しない。
る(9)。
また、教員の立場からすれば、学習者の母語を

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3. 学校教育に於ける英語教育 3.2 学校教育で英語が身につかないのはなぜか

3.1 コミュニケーション重視の学校英語教育 学校教育で英語が身につかないのはなぜか。学


校の英語教育が教授法的に変われば、生徒は英語
学校の英語教育では英語は話せるようになら が話せるようになるのか。大津 et.al(2013)は時間
ないという声を耳にする。確かに筆者からしても、
数の絶対的な少なさが問題であると指摘する。
中高で 6 年間英語教育を受け、大学受験もなんと
「英語の授業時間は中高を合わせても 700~800
か乗り切ってきたが、未だに英語でのコミュニケ
時間、つまり 1 日の半分を英語に接するとして 2
ーション力に自信が持てない。これは幸いにして
ヶ月半ほどです。検定教科書の英語の量は、中学
筆者に限らないようで、学校の英語教育に対して
と高校のハイレベル用を足してもペーパーバッ
改革を待ち望む声は小さくない(10)。
ク 80~90 ページ程度です。
」(pp.11-12)
事実、古くは 1972 年の中央教育審議会で「コ
また菅原(2011)も同様に時間数の少なさを指
ミュニケーションの手段としての外国語能力の
摘し、さらに「学校英語で学ぶ基礎」として文法
基礎を培うための教育内容・方法及び教育環境に
の重要性を強調している。
「私が主張したいのは、
ついて一層の改善を図る」ことが答申されてい
現在の教育制度の枠組みを考えた場合、高等学校
る (11)。また、1986 年の臨時教育審議会第二次答
の英語学習だけで、英語が話せるようになると考
申では「(中高英語教育は)文法知識の習得と読解
えるのは無理があるし、学校の教室では、
『話す』
力の養成に重点が置かれ過ぎている」と指摘され
ことよりも優先して教えるべきことがあるはず
ている。これを受けて、90 年代からは学校英語
だということである。高校生たちに向けては、い
教育に於いてコミュニケーションが重視される
まむやみに焦る必要はないし、じっくりと文法を
ようになってきた。2013 年からの高等学校指導
要領の解説(外国語編・英語編)(12)は「4 技能を 学び『読む』力を蓄えた方が、将来のためにはよ

統合的に活用できるコミュニケーション能力を い、と伝えたい。
(中略)一般の方々には、学校

育成するとともに、その基礎となる文法をコミュ 英語で学ぶ基礎は必ず『役に立つ』し、あとは自

ニケーションを支えるものとしてとらえ、文法指 分の努力次第なのだ、と申し上げておきたい。」

導を言語活動と一体的に行う。」(p.3)ことが謳わ (p.234)

れている。 しかしながら、前節で述べたように「コミュニ
一方、ベネッセ(2009)によると、好きな教科を ケーション能力育成重視」の名の下に文法教育が
尋ねたところ英語は 9 教科中 8 位(25.5%)という 縮小され、ベネッセ(2009)によれば文法が難しい
結果であり、かつ、約 6 割の生徒があまり授業を と感じる生徒が多い状況にある。
理解していないと回答している。苦手分野に関し
て、生徒と教 員に認識のずれもあるよ うで、
78.6%の生徒が「文法が難しい」と回答している
4. 文法教育の再評価

のに対し、「(生徒が)文法事項を理解できない」
4.1 日本に於ける漢語の受容
と回答している教員は 45.7%に留まっている。大
津 et.al(2013)に見られた斉田(2010)によると、 飛鳥時代に万葉仮名が発明されるまで、日本語
1995 年から 14 年間、高校入学時の英語の成績が は文字を持たずにいた。しかしそれまでも、隋な
一貫して下がっているとし、その下落幅は偏差値 どの中国大陸国家から漢籍が様々輸入され、それ
換 算 で 7.4 に も な る と い う ( 大 津 を読み解く必要に迫られていた。これにはいわゆ
et.al(2013)p.127)。 る渡来人などの助けを得たことが想像されるが、

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構造が異なる漢語を日本語として理解するため 時に、教える文法項目を整理して、優先順位をつ
には、乎古止点や返り点を利用して、構文を置き けること。そして教え方を変えるのです。(後略)」

換えねばならなかった。これが漢文訓読である。 (pp.34-35)
現代のように人の往来が盛んな時代とは異なる この「教え方」については杉山 (2013)の文法
ため、外国語に音声として接するよりは、外国語 翻訳法に対する指摘がある。「文法訳読は、母語
で書かれた先進書物としての漢籍を日本語母語 の力を利用しつつ、英語と日本語の間を往来しな
話者が訓読しなければならなかったことはやむ がら知識を自動化し、習熟の度合いとともにだん
を得ないことだったのだろう。これに加えて、遣 だん日本語の介在をなくしていき、最終的には訳
唐使の廃止や漢音音読を担当する音博士の廃止 さなくても理解できるようになる『直読直解』を
は、日本人をますます音声としての外国語から遠 目指しているのである。
」(p.119)
ざけた。唐代の詩人、賈島の「棹穿波底月 船壓 日本語教育に於ける中級総合教材が概ね直読
水中天」という句を踏まえ、土佐日記には「さを 直解を念頭に置いたものであることを考えれば、
はうがつなみのうへのつきを ふねはおそふう この指摘は重要であると思う。ただ、ここで問題
みのうちのそらを」(正月十七日)と表れるが、 となるのはやはり「習熟の度合い」である。日本
これはいわば訳出であり、当時の中国大陸で賈島 語教育では初級段階から直接法で教えることに
の詩がどのような音声で読まれたのかを知る術 より、中級での読解が自然と直読直解に結びつい
はない。意味で捉えれば音声からかけ離れる。か ている(13)。直読直解は初級から直接法での教授
といって無理矢理に「トウセンハテイゲツ」と音 が必須であるものだろうか。そうでないとするな
読みしたところで正確な音声は再現できず、なお らば、どのような導入が必要なものなのか。この
かつ意味が不明となる。これは意味に重きを置き、 点に関しては今後の検討が必要だろう。
音声を軽視する従来の文法翻訳法そのものでは 付記すると、ひとつの方法論として現在筆者が
ないだろうか。 注目しているものに反転授業がある。反転授業と
は、これまで教員が教室で行ってきた学習項目の
説明を、事前にパソコンなどを用いて動画で視聴
4.2 「直読直解」
し、その後に教室活動に参加する方法である。こ
れを用いれば、例えば、複雑な説明が必要な文法
コミュニケーション重視の英語教育を目標に
項目などは、学習者の母語や媒介語を用いて説明
置きながらも、学校教育だけでは時間が足りず、
を行なうことができる。また、動画で用いるため、
ならばせめて、基礎となるべき文法力を身につけ
学習者は自分で一時停止・巻き戻しなどの操作を
させるという立場に立つならば、何をどのように
行なうこともでき、自分のペースで学習を進める
行なうべきなのか。鳥飼(2011)は文法項目の整理
ことができる。こうして十全に知識を得た上で教
と教え方の変革について指摘する。
「文法訳読法
室に臨めば、教室では直接法による練習に専念す
(Grammer Translation Method)という外国語学
ることが可能となる。
習法は日本のオリジナルではなく、昔から世界中
教室活動をネイティブ教員が直接法で行なう
で使われてきた指導法ですが、(中略)生徒にとっ
功罪は2.1あるいは2.2で述べたが、反転授
ては退屈きわまりなく、実際に使えるようになら
業と直接法の併用により学習者の負担を軽減し
ないことから、不人気なのは日本だけではありま
て、効果をさらに上げることは夢想とはいえまい。
せん。どうしたら良いのか。私が提案したい解決
反転授業は文法翻訳法と直接法のハイブリッド
法は、なぜ国際共通語としての英語であっても文
の一形態になりうるだろう。
法が大事なのかを学習者に説明することです。同

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國弘保明:語学教育に於ける文法翻訳法と直接法 43
もので、しかもその生徒は後でしなければなら
ぬ訳読に気を取られて、その訂正に大して注意
5. 今後の課題 しない。況んや他の生徒達も結局は訳が重要な
ので、試験も多くの場合訳さへ書ければよいの
自らの言語学習経験と言語教授経験を振り返 であるから、殆ど注意を払はない。(中略)そこ
で愈々先生の reading が始まる。しかし生徒の
り、学習法としての文法翻訳法と直接法に興味を 待ってゐるのは先生の reading でなくて訳であ
持つようになった。双方の歴史的背景を概観しな る。大多数の生徒は十分に調べてゐないから、
この先生の訳を筆記するのが、時間中の最も重
がら特徴をまとめ、双方の利点を実際の教授に両 要な仕事である。先生の訳がすむと次の生徒が
立できないかと考えながら論を進めた。紙幅の限 当って又同じ事を繰返す。かやうにして生徒が
耳にするもの、少くとも注意して傾聴するもの
りもあり、また思索が多方面にわたり、散漫で十 は、日本語である。英語は単に眼によって漠然
分に論じ得なかったことを省みながら今後の課 と認識され、訳読のヒントを得る為の印として
取扱はれるのみである。(後略)」 沢村寅二郎
題をまとめたい。 (1935) 『訳読と翻訳』(pp.13-14)
まずは、前節にも述べたように直読直解の導入 (2)目標言語に対する知識が十分にあるからこそ教
員が勤まるともいえる。しかし、そのことと、
についてである。日本人に対する英語教育に直読 学習者に目標言語を身につけさせることができ
直解を導入するならば、それはどのように行なわ るようになるかは別問題である。日本語教員に
関しても同様で、 「今までにあった多くの人から
れるべきであろうか。 得た印象では、日本人なら誰でも日本語教師に
次に、直読直解の具体的な行なわれ方である。 なれるだろうという考え方が一般的だ。」(江副
(1985)p.3)という指摘はこの点を指摘している。
テキストをもとにしながら、いかに「知識を自動 (3)
「言語を異(こと)にする多くの異民族や国々を支
化」し、コミュニカティブに教えることができる 配下に治められた暁(あかつき)に,その勝利に
よって彼らが,勝者が敗者に課す法律と,それ
か。これは日本語教育の現場でも、いかに効果的 にともなう我らの言語を受け入れる必要にせま
な直読直解が実践可能か検討しなければならな られたとき,まさに現在我々がラテン語文法に
よってラテン語を学んでいるのと同様に,彼ら
いし、さらにはその評価についても視野に置かれ は我が『文法』によって我らの言語を知ること
になるでしょう」 『カスティーリャ語文法』 。
なければならないだろう。
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/as_01/12
反転授業の導入に関しても付記した。これに関 /notes/ja/history06-12.pdf
(4)「1 決して訳してはいけない。実例で示しなさ
してはアイディアの段階であり、まずは小規模な い。2 決して説明してはいけない。行為で示
実践から始め、その効果を模索したいと考えてい しなさい。3 決して演説してはいけない。質
問をしなさい。4 決して間違いを模倣しては
る。 いけない。直しなさい。5 決して単語だけを
使って話してはいけない。文を使いなさい。6
決して話しすぎてはいけない。学習者に多く話
させなさい。7 決して本を使ってはいけない。
注 自分のレッスン・プランを使いなさい。8 決
(1)
「今仮に普通行はれる訳読の授業を想像してみ してばらばらに教えてはいけない。プラン通り
に教えなさい。9 決して急ぎ過ぎてはいけな
よう。鐘が鳴って生徒が教場に集まる。教師が
い。学習者のペースに合わせなさい。10 決し
教壇に現はれて、生徒は礼をする。教師は出席
て遅い話し方をしてはいけない。自然な速度で
簿を読む。生徒達は互に談笑したり、鉛筆を削
話しなさい。11 決して速い話し方をしてはい
ったり、書物やノートを出したりしてゐる。教
けない。自然な速度で話しなさい。12 決して
師は今日は何頁の何行目からと云って、閻魔帳
大きな声で話してはいけない。自然な声で話し
を見て一人の生徒を指名する。生徒は立って
なさい。13 決して短気になってはいけない。
reading をする―吃りながら、一所に読むべき
気長に教えなさい。 」リチャーズ&ロジャーズ
単語と単語とを切れ切れに離したり、或は切り
(2007)
離すべき単語をくっつけたり、発音を間違へた (5)同様の事柄に「英語脳」等々といった表現も巷
りしながら或る分量を読む。何しろ意味が十分 間に散見される。また、ロンブ=カトー(2000)
に分ってゐないのであるから無理もない。(中 は「事故による外傷を受けたため、母国語だけ
略)この reading なるものは大抵の場合、語句を を記憶から喪失し、学習によって得た外国語は
音の流れや音の pattern として取扱ふよりも、 無傷のまま覚えていたという患者の臨床例」
単語を単位とした分解的なもので、教師の訂正 (pp.192-193)を挙げ、その分化を示唆している。
は単に reading してゐる生徒に対した個人的な

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(6) 日本語教師養成講座で、学習経験のある言語 日本語教育学会 (1990)『日本語教育ハンドブック』


について事前にアンケートを実施し、その結 大修館書店
果、受講生に学習経験がなかったインドネシ ベネッセ (2009)「第1回 中学校英語に関する基本調
ア語を模擬授業で扱った。簡単な挨拶・文房 査報告書【教員調査・生徒調査】 」
具など学生の机の上にある物の名称・ 「これ/ http://berd.benesse.jp/global/research/detail1.php?
それは~です/ではありません」という表現 id=3186
を 30 分程度使って、直接法で教えた。 ロンブ=カトー (2000)『わたしの外国語学習法』ち
(7) イラストや写真も教授意図にあった適切なも くま学芸文庫
のを用いないと、かえって混乱する場合があ リチャーズ&ロジャーズ (2007)『アプローチ&メソ
る。例えば、 「コーヒー」という言葉を学生に ッド 世界の言語 教授・指導法』東京書籍
提示するためにイラストを用いる場合、そこ A. P. R. Howatt and Richard C. Smith (2013)
にティースプーンやミルクなどが一緒に描か “Modern Language Teaching” Routledge
れていると混乱を招くおそれがある。特に写
真は含まれる情報量が多いため、注意が必要
である。
(8) 例えば、 「教室の窓が開けてある」 「教室の窓
が開いている」という 2 文には明らかに意味
内容に差があるが、これを学習者が本当に理
解しているかどうかを確かめるには創意工夫
が必要である。単なるイラストや写真を見せ
て文を生成させたところで、この差違は明ら
かにはならないだろう。
(9) 例えば、 「~らしい」という表現を考えた場合、
「彼は来ないらしい」という推量の用法と、
「あの子は子どもらしい子どもだ」という典
型の用法がある。典型のイメージは文化背景
によって異なり、後者は直接法で教えること
はなかなか難しい。
(10)前述の直接法模擬講義の際、学生からは「こ
ういう授業を学校で受けていたら、英語が話
せるようになっていたかもしれない」という
声が上がった。その真偽は検討しようもない
が、学生の直観としては留意すべきだろう。
(11)昭和 47 年中央教育審議会答申「教育・学術・
文化における国際交流について」
(12)http://www.mext.go.jp/component/a_menu/e
ducation/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2
010/01/29/1282000_9.pdf
(13)勿論、先述の通り、クラス編成の都合でそう
せざるを得ない場合が多いという側面はある。

参考文献
石田敏子 (1995)『改訂新版 日本語教授法』大修館書店
伊藤嘉一 (1984)『英語教授法のすべて』大修館書店
江副隆秀 (1985)『日本語を外国人に教える日本人の本』
創拓社
大津由紀雄・江利川春雄・斎藤兆史・鳥飼玖美子 (2013)
『英語教育、迫り来る破綻』ひつじ書房
菅原克也 (2011)『英語と日本語のあいだ』講談社現代
新書
杉山幸子 (2013)「文法訳読は本当に『使えない』のか」
『日本英語英文学』No.23
高島俊男 (2000)『漱石の夏やすみ』朔北社
高見澤孟 (1989)『新しい外国語教授法と日本語教育』
アルク
鳥飼玖美子 (2011)『国際共通語としての英語』講談社
現代新書
名柄迪・中西家栄子・茅野直子 (1989)『外国語教育理
論の史的発展と日本語教育』アルク

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Nihonbashi Gakkan University

國弘保明:語学教育に於ける文法翻訳法と直接法 45

A study on the grammar translation method and


the direct method

Yasuaki KUNIHIRO*1

Synopsis

The instructional approaches in the area of language teaching are categorized into two types.
The one uses vehicular language, as the grammar translation method. The other one is the direct
method. The direct method is taken into confidence to improve communication skills in these
years. Although the grammar translation method is considered less serious, it is not relic of the
past. One argues that current academic training is not useful to improve students’ English skills,
just in general. In the communicative method, lecturer put grammatical lessons less in school as
part of the curriculum frequently. On another front, grammatical lessons are necessary to
non-native students. This study shows merits and demerits of the two methods, and considers
how to leverage the grammar translation method in the higher education or intensive course.

……………………………………………………… Key words ……………………………………………………


grammar translation method, direct method, vehicular language, grammer, higher education

*1 Faculty of Liberal Arts Nihonbashi Gakkan University

NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.14

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