民謡をバックボーンにした情緒豊かな歌声で魅了し、NHK紅白歌合戦に19回出場した歌手、香西かおり(59)。デビュー日の5月25日に歌手生活35周年を迎え、同3日に記念シングル「澪標(みおつくし)」をリリースする。節目の年に「わざわざ振り返ることもなく、仕事があれば駆け付けるエンドレスな歌手人生」と総括。地元の大阪で暮らす父親(90)と愛情あふれる生活を送りながら、〝いま〟を楽しんでいる。(ペン・山内倫貴 カメラ・塩浦孝明)
春らしいショートヘアが爽やかだ。35周年を迎えた心境を聞くと「休むことなく歌手活動をしてきましたが、すぐ忘れられる(演歌の)世界で続けてこられたことは、すごいのかなって…」と控えめに振り返った。
5月3日には記念シングル第3弾「澪標(みおつくし)」を発売。ライブなどで共演歴のあるミュージシャンで同じ大阪出身のRio(46)が作詞作曲した。思いを寄せる人の帰りを待つ女性の心情を歌う歌謡曲風の演歌。「澪標」とは航路を示す標識だ。大阪・此花区には澪標住吉神社があるが「私自身、関西色が少ないこともあり、大阪が舞台の曲を歌うことは少なかった」と説明する。
民謡とは、その大阪で11歳の頃に出会った。当初は「縄跳びの持つところをマイク代わりに友達とピンク・レディーを踊っていた」女の子だったが、「近所のおばあちゃんの付き添いで行った民謡教室」がきっかけとなり「習い事の感覚」で教室に通った。
すると、数々の民謡大会で優勝。1981年に17歳で民謡歌手としてレコード会社と専属契約した。一方で翌82年、太陽神戸銀行(三井住友銀行の前身の1つ)に入行。「本当は銀行員になってお嫁さんになるのが夢だった」が、当時のNHK人気番組「民謡をあなたに」を契機に民謡ブームが到来。テレビ出演などで銀行との兼業が難しくなり「契約を破棄する方が大変やろな…」と直感して上京。歌手として本格的に歩み出した。
その後の活躍は、めざましかった。88年にデビューし、93年に「無言坂」で日本レコード大賞を受賞。「デビューの頃は来る日も来る日もキャンペーンでサイン色紙を書きためたり、食べるのも寝るのもままならなかった」と振り返りつつも「昭和の最後、たくさんの音楽番組や音楽祭に出させていただいた最後の世代」と感謝する。