体調不良を理由に、監督を勇退した星野仙一は2004年からオーナー付シニアディレクター(SD)に就任。球団をサポートする立場となった。翌05年秋から、親会社の阪神電鉄の存亡の危機となる「緊急事態」が起こった。財界、球界を揺るがした、村上ファンド問題。星野は「天罰が下る!」と怒りをあらわにした。
放言でも予言でもない。自信があった。そうなることをわかっていたから、声を大にして言い切った。
「今に天罰が下る」
阪神史上最大の緊急事態だった。「阪神タイガース」が「村上タイガース」になってしまう-。投資家の村上世彰氏が球団の親会社である阪神電鉄株を大量取得して筆頭株主となったのが始まりだった。ゴールが見えない中で星野SDが真っ先に村上氏の行く末を断言した。
村上氏の動きが判明したのが、岡田監督が就任2年目でリーグ優勝を決める2日前の9月27日のこと。大阪・福島区の阪神電鉄本社には経済記者も詰めかけたが、当時のオーナー・手塚昌利氏(阪神電鉄会長)は沈黙するしかなかった。
村上氏は最終的に阪神株の46・82%を保有し、06年6月の定時株主総会で、取締役16人のうち改選される9人を、村上ファンド側の社員に選任させるように求め、村上オーナーのもと、タイガースを別会社として、上場させる野望を描いていた。
株主総会前の5月。星野SDに、ある話が飛び込んできた。村上氏に司法の手がのびる! 極秘情報だった。
「だから、あのときに天罰という言葉を使ったんや。そうすれば、球団や電鉄本社、阪神ファンの動揺が少しでも収まるかもしれんからね」
言葉の刃は強烈だった。「タイガースという関西文化に手を突っ込んで、牛耳ろうとしている。(経営権を握れば)一生、あの男にはファンや阪神の社員、関西の人たちの恨み辛みがつきまとう」。さらに続けて「何も分かっていない人に経営権を牛耳られて、あーでもない、こーでもないといわれるのなら(自分は)辞めざるを得ない」といい放った。