翌84年1月31日、1カ月前に交通事故に遭っていた林家小染兄やんが亡くなった。入門したての頃からかわいがってくれ、「ザ・パンダ」でも一緒でした。2月2日の密葬に参列し、誰にも会わんと帰るつもりでしたが、六代目笑福亭松鶴師匠が「どないしてるんや。戻る気あるんか」と声をかけてくれました。「戻りたいです」と口にすると、「一度、うちにおいで」と言っていただいた。
数日後、一升瓶を2本さげて、住之江の松鶴師匠の自宅へうかがいました。すると「行こか」と車に乗せられ、向かった先は玉出の小文枝師匠の家。「ここで待っとき」。小文枝師匠は先代の松鶴師匠に一時預けられていたことがあるので、松鶴師匠とは兄弟分。本名で呼び合う仲でした。「多持、きん枝戻すで」「兄貴がそう言うなら」というやりとりがあったそうで、僕の復帰が決まりました。
実は小文枝師匠は、僕に職を世話してくれた京都の社長にもあいさつしてくれていた。「よろしく頼む。いずれ戻すつもりや」と話していたそうです。ありがたいことです。復帰するにあたり、「勝枝」に改名するのが師匠からの条件。きん枝という名前は浮き沈みが激しい、と姓名判断で出たそうで。己に勝つ、という意味が込められていました。