サラリーマンやめて芸人になると決め、母親には内緒で調べ始めた。上方落語四天王のうち、桂小文枝師匠(当時、故五代目文枝)は芸人ぽくないというか近所のおっちゃんみたいな雰囲気。寄席を聴きに行ったけど、落語もほわーんとしている。お弟子さんのうち、小枝さんはもうすぐ3年の年季が明けるし、三枝(現六代文枝)さんはラジオの「MBSヤングタウン」で売れっ子になって、もう師匠にはついてない。これなら兄弟子の世話はしなくていいなぁとも考えた。
1969(昭和44)年4月に入社したばかりでしたが、6月にボーナスをもらって日立エレベーターは退社。うめだ花月の玄関で小文枝師匠を待って、弟子入りをお願いした。「親と一緒に来なさい」と言われ、そこで初めて母親に打ち明けた。「実は会社やめてん」「おかしいなとは思ってた」。父親代わりの13歳上の兄にも相談したら、わかってくれて。こいつは大学に行かずに高校出て働いた。今から3年やったら大学を出るのと同じ年や。とりあえず3年やらせてみたらどうや、と説得してくれた。そして母と一緒に玉出の師匠の家に行き、入門を許されました。
本名の名字が「立入(たちいり)」なので、周りの人からも「立ち入り禁止でよろしいがな」と言われ、芸名は「きん枝」になった。一門にはそれまできんしの読みで錦枝や金枝はいたけど、ひらがなは僕が初めてだった。