1981年8月26日のヤクルト戦。八回のピンチで首脳陣にそっぽを向かれた怒りから、降板の際はグラウンドにグラブを投げつけた
ギャラリーページで見る 長期連載のトリで登場するのは、サンケイスポーツ専属評論家の江本孟紀氏(68)。東映(現日本ハム)、南海(現ソフトバンク)、阪神の投手として、プロ11年間で通算113勝を挙げながら、阪神時代の1981年のシーズン途中、球史に残る『ベンチがアホやから事件』で電撃的に現役を引退した。まずは、その顛末(てんまつ)から-。
預金通帳の残高は『30万円』。身震いがしたね。女房、子供に、マンションのローンを抱えて無職になった。4カ月間、遊びほうけて迎えた1982年1月。800万円近くあった貯蓄が底をつく。あの恐怖は忘れられない。野球をやめた恐ろしさを痛感したね。
原因はもちろん、『ベンチがアホやから事件』だ。81年8月26日の阪神-ヤクルト(甲子園)。八回に4-2と追い上げられ、なお二死二、三塁で、打席に8番・水谷新太郎を迎えた。次打者は投手。勝負か、敬遠か、交代か。さあどうする…とベンチを見ると、中西太監督はそっぽを向いて、ベンチ裏へ消えた。なんや、この大事なときに采配放棄かよ?!
仕方がないから、捕手・笠間雄二に「中腰に構えろ」と指示。1球、高めに外して様子をみることにした。ベンチに、策を考える猶予を与える意味合いもあった。