プロボクシングで世界3階級を制覇した亀田興毅氏(29)は、17歳でプロデビューすると、独特の派手なパフォーマンスで注目を浴びる一方、世間から容赦ない批判を受けることもあった。昨年10月、4階級制覇をかけたWBA世界Sフライ級タイトルマッチに敗れて引退。亀田3兄弟の長男として、ボクサーとして起伏に富んだ人生を振り返った。
2007年の10月。早朝から深夜まで一日中、電話は鳴り止まなかった。東京・葛飾区にあった自宅兼事務所。時間はまったく関係ない。受話器を取れば「ボクシングを辞めろ!」などの罵詈雑言ばかりだった。
家の外を見回せば、カメラがズラリ、20人以上の報道陣が取り囲んでいた。18歳だった弟の次男・大毅が試合に勝ちたい一心で反則をしてしまったことで、まるで大きな犯罪をしたかのように扱われていた。
〈07年10月11日、大毅が国内最年少の王座獲得をかけて、WBC世界フライ級王者の内藤大助に挑戦。大毅は試合前に内藤を「ゴキブリ」と呼び「負けたら切腹」などと挑発。試合では相手を投げるなどの反則行為を繰り返した末、判定負け。一連の流れで大毅だけではなく亀田家が批判を浴びた〉
試合以降、家から一歩も外に出られない日が10日以上も続いた。このままでは家族全員が精神的におかしくなってしまう。関係者と話し合って、状況を変えるには謝罪するしかないという結論になった。今にも自殺してしまいそうな大毅はとても人前に出られる状況にない。自分が頭を丸め、26日に当時所属していた協栄ジムで謝罪会見を開くことになった。