神武東征の道 三重・大紀町~橿原神宮100キロを2日で踏破

2日がかりで橿原神宮まで神武東征の道をたどった参加者たち=7日、奈良県橿原市の橿原神宮
2日がかりで橿原神宮まで神武東征の道をたどった参加者たち=7日、奈良県橿原市の橿原神宮

初代・神武天皇が九州から大和へ東征の際に紀伊半島を縦断したルートと伝えられる、三重県大紀(たいき)町から橿原神宮(奈良県橿原市)までの約100キロを2日間かけて徒歩でたどるイベント「魚(いよ)の道マラニック」が6、7両日に行われた。三重や大阪などから約50人が参加し、熊野や大和の自然を楽しみながら、神話の世界に思いをはせた。

熊野灘に面した大紀町錦地区(旧紀勢(きせい)町)は、神武天皇が紀伊半島に上陸した「丹敷浦(にしきうら)」とされ、この地から北上して橿原宮(橿原市)で即位したといわれる。

神話の里・錦地区の歴史に興味を持った女性たちが「戸畔(とべ)の会」(西村元美代表)を結成し、紀勢町史編纂(へんさん)に携わった岡田登・皇學館大名誉教授の指導を受けて、神武ゆかりの道について学んできた。

錦地区はブリなどの産地で、奈良まで水産物を届ける「魚の道」が昭和初めまであり、地元では現在も魚のことを「いよ」と呼んでいる。魚の道が神武天皇がたどった道とも重なるとして、同会などが今回のイベントを企画した。

100キロの道のりをマイペースで楽しんでもらおうと、マラソンとピクニックを兼ねた「マラニック」と銘打って、各地のマラソン愛好家や歴史ファンらに声をかけて初めて開催。100キロをすべて徒歩でたどるコースと一部の約30キロを歩くコースに分かれ、6日早朝に大紀町を出発し、三重県松阪市や奈良県宇陀市などを経て7日夕方に橿原神宮に到着した。

同神宮では久保田昌孝宮司や亀田忠彦・橿原市長らが出迎えた。久保田宮司は「神武天皇は困難を乗り越えて橿原の地で国を開かれた。その道をみなさまが踏破されたことはすばらしい」とあいさつした。

100キロを歩いた横浜市南区の中村磨美(ますみ)さん(67)は「神武天皇ゆかりの地や歴史スポットも多く、歩いたり走ったりして気持ち良かった」。同会の西村代表(68)は「4月3日は神武天皇祭なので、この時期に合わせてこれからも続けていきたい」と話した。

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