最後の蘇民祭「心にぽっかり穴」 奇祭、千年以上の歴史に幕

最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)

五穀豊穣や無病息災を祈願し、フィナーレで男衆が護符の入った麻袋を奪い合う奇祭「蘇民祭」が17日、岩手県奥州市の黒石寺で開かれた。千年以上の歴史があるとされるが、担い手の高齢化などを背景に、今年が最後の開催となった。

午後6時、いてつくような寒さの中、下帯姿の男衆たちが境内を流れる川の水で体を清めた後、邪気を正すという意味の「ジャッソー、ジョヤサ」のかけ声を上げながら、境内を練り歩いた。

最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺

祭りのクライマックスは、手にすると無病息災が約束されるという「蘇民袋」の争奪戦。終了時間に袋を握っていた「取主」は、最も御利益を受けるとされる。

祭りは、本来夜通し行うが今年は時間帯を早め、短縮開催となった。2008年には、胸毛にひげ面の男性を扱った告知ポスターが不快感を与えるとして、JR東日本が駅などでの掲示を拒否したことで話題となった。

「生きてることを実感できる」

蘇民祭の一端を支え続けてきたのは地元の保存協力会青年部。その1人伊藤英和さん(47)は「ぽっかりと心に穴があいたようだ。ずっと身近にあったのに」と開催終了を残念がった。

黒石寺の近くで生まれ育った「地元中の地元」。だが「青年部は荒くれ者の集団という印象だった」と苦笑いする。

知人に誘われ続けたことをきっかけに2014年から参加。青年部にいた50人以上のメンバーはみな「思いの外優しく、思いやりのある人たち」。交流するうちにのめり込み祭りの1カ月以上前から始まる準備も手伝うようになった。「下帯姿で外にいると震えが止まらない。でも生きてることを実感できる」

最後の開催となった「蘇民祭」に参加した伊藤秀和さん。受け入れるしかないが、青年部がなくなるわけではないので「みんなで話し合って形を変えてでも存続できないか探っていきたい」と語った
=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺
最後の開催となった「蘇民祭」に参加した伊藤秀和さん。受け入れるしかないが、青年部がなくなるわけではないので「みんなで話し合って形を変えてでも存続できないか探っていきたい」と語った =17日午後、岩手県奥州市の黒石寺

青年部は最後まで開催終了に反対し続けた。だが祭りの中核を担う檀家や関係者の高齢化は著しく、担い手も不足。護符の準備や祭事に必要な木の切り出しなどが困難となり、継続の道は絶たれた。

最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
最後の開催となった「蘇民祭」で、川の水を浴びる男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
蘇民袋を奪い合う男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
蘇民袋を奪い合う男衆=17日午後、岩手県奥州市の黒石寺(岩崎叶汰撮影)
「蘇民祭」が終わり、記念写真に納まる男衆=17日夜、岩手県奥州市の黒石寺
「蘇民祭」が終わり、記念写真に納まる男衆=17日夜、岩手県奥州市の黒石寺

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