目指すものが違った、この道を行く

話の肖像画 歌手・俳優 武田鉄矢<30>

海援隊の千葉和臣さん(右)、中牟田俊男さん(左)と
海援隊の千葉和臣さん(右)、中牟田俊男さん(左)と

《昭和57年に解散した海援隊は再び結成された》

歌を歌いだして20周年記念の年(平成4年)だったと思います。横浜アリーナで歌を歌いつつ自分を振り返るステージだったんですけど、やっぱり海援隊は大事な過去だということで、千葉和臣と中牟田俊男と3人で久しぶりにやろうって言って。

ソロのときは大きいバンドをつけていたんですが、生ギター2本でやると、なんとも身軽で。左右見たら千葉と中牟田という10年一緒にやった仲間がいて、あんばいがいいんですよ。

奴(やつ)らもよくしたもんで、私が歌の入り口を間違えても待っているんです。同じコード弾きながら、ずっとこっちの顔を見て。歌いだしたら、そこからメロディーが始まる。語りながら歌うことが可能なんです。するとバックバンドの諸君が「武田さん、続けたほうがいいですよ」と言い始めたんです。ものすごくチャーミングですよ、って。

海援隊に少し照れがあったんでしょうね。ライバルがすごすぎたんです。チューリップ、井上陽水、南こうせつとか。勝てないんですよ。財津和夫の持つサウンドへのこだわり、井上陽水の能力、それから同じ事務所で戦い続けた谷村新司がいて。彼らのほうがはるかに才能がある。それに比べて自分は…と。

最近ようやく分かったんですが、目指しているものが違ったんですね。比べようのないものを遮二無二に比べて負けたと思っていたんじゃないかと。海援隊は海援隊でいいんじゃないかと、この年でやっと分かって。

やっぱり谷村さんの「昴(すばる)」はできませんわ。陽水さんの「心もよう」、財津さんの「青春の影」とか、あんなの、私にはできませんもの。アリスが「チャンピオン」というリズム軽やかな、敗れていくボクサーの悲哀を歌ったとき、なんとか追いつきたくて作った曲が「あんたが大将」でしたもんね。違いすぎますよね。

谷村さんと同じ事務所にいて、社長から「売れるきっかけになるから2人とも頑張って作れ」と命令を受けたのが、国鉄のコマーシャルソングでした。谷村さんが作ったのが「いい日旅立ち」で、僕が作ったのが「思えば遠くへ来たもんだ」なんです。もちろん採用されたのは谷村さんの曲で。「負けた!」と思ったんですけど、「思えば~」は、あれはあれなりによかったなと。

目指すものの違いなんて、若いときは気がつかないんですね。観客動員が多ければ多いほどいいと思ってしまう。アリスはチケットを売り出すと即日完売なんです。でも考えてみたら観客動員の数を目指していたわけでもなければ、そっちの音楽性を目指していたわけでもないんですよね。

海援隊の3人で目指したのは、人間の肌に接したような、手触りみたいな歌で、その歌のそのフレーズのところに来ると人々が深くうなずいてくれる。それを歌にしたかった。


《海援隊は平成6年に正式に再結成してから今年で30年を迎える》


今年は地方でライブをぼちぼちやろうかと。驚くなかれ。昨年は月に2、3回でしたが、会場が満杯なんですよ。「どこの街に行っても1千人」は結構、大偉業なんですよ。仲間に話したら「じじいになってもうすぐ消えちゃうから、みんな最後だと思って見に来てるんじゃねえか」と笑っていましたけど、それはそれでよし。やっぱりいよいよこの道を行くしかないと。

最近は俳優の仕事はあまり来ませんけど、脇役で雇うには少しギャラが高いみたいですね(笑)。ただ、いつかきっとまたいい役が来そうな気がするんですわ。俳優って面白いもんで、とにかく一生に一度の役をやりたいんですよね。しっかり老いて、年をとった芝居を、年をとったという印象で見てもらえる役をやりたくて、たまんないんですよね。(聞き手 酒井充)=明日から山梨学院大陸上競技部顧問、上田誠仁さん

会員限定記事会員サービス詳細