ニュース番組を変えた「モノを言うキャスター」磯村尚徳さん死去

元NHKキャスターの磯村尚徳氏
元NHKキャスターの磯村尚徳氏

6日に亡くなった元ニュースキャスターの磯村尚徳さんは、ニュース原稿をアナウンサーが読み上げる「お堅い」イメージが強かったニュース番組を一変させた。体を少し斜めにしてカメラに向かい、笑みを浮かべながら視聴者に語りかける。NHKの「ニュースセンター9時」(NC9)が、お茶の間に与えた印象は新鮮だった。

アナウンサーも取材

「気のせいでしょうか。いつもの年より長くかつ寒い冬がようやく遠のきまして、やっと4月になりました…」

昭和49年4月1日午後9時、磯村さんのこんな挨拶からNC9は始まった。新番組の誕生を主導したのは島桂次報道番組部長(後の会長)だったが、外信畑を歩いてきた磯村さんは、編集長として記者がスタジオで話し、アナウンサーも現場で取材する新しいニュース番組作りを提案した。

「アメリカのキャスターは斜めに構えて話していた。モスクワ放送なんて共産党の総本山なのに、そこですら日本よりは余裕を持ってしゃべっていたんですよ」。テレビの放送開始60年の節目となった平成25年の取材で、磯村さんは産経新聞記者にそう語った。

ただ、初日は「今までやったことのない新しいことをするわけですからね。覚えていないくらい緊張しました」。

会長辞任にコメント

当初、視聴者からは「無礼だ」「何だあの態度と服装は」などと批判の声もあったという。スタッフからも「いつもの磯村さんじゃない」という声が出た。原因の一つは、磯村さんの前に設置されていた原稿を表示するプロンプター。どうしてもそちらに意識が行き、堅くなってしまう。2週目からは手元にメモだけを置いてしゃべった。リラックスした磯村スタイルが板に付くのは、この頃からだ。

とりわけ注目を浴びたのが、51年9月3日、NHKの小野吉郎会長の辞任を伝えたときだった。前月に、ロッキード事件で逮捕後保釈された田中角栄元首相を、小野会長が出勤前に見舞ったことが発覚。NHKはその事実を積極的に報じなかったが、引責辞任した当夜、磯村さんは番組の中で「視聴者から数多くのおしかりをもらい、責任の大きさを痛感しています」と陳謝し、「これは上司にも相談していないことですが」と付け加えた。

辞職を覚悟しての発言だったが、「身内の不祥事を報道しないのは、報道機関として失格だと思った」。これが「モノを言うキャスター」像が定着するきっかけとなった。

「自分の意見」に一線

翌年3月までキャスターを務め、その後、報道局長などを歴任。特別主幹だった平成3年、自民党などからの要請を受けて、東京都知事選に立候補した。記者会見では「記者の現役を全うしたいと思っていたが、お断りすれば混乱がひどくなる。苦渋に満ちた決断をしました」と語った。

著作「ちょっとキザですが」のイメージが強かった磯村さんは、銭湯でお年寄りの背中を流すといった意外なパフォーマンスも披露した。しかし、自民分裂もあって鈴木俊一氏が4選を飾り、落選した磯村さんは外交評論家に転じた。

「モノを言うキャスター」はその後、テレビ朝日系「ニュースステーション」の久米宏氏らに引き継がれた格好だが、しばしば批判の的にもなっている。磯村さんは10年前の取材で、「私は番組で自分の意見は言ったことはない」と言い切った。「外信育ちですから、『どこが報じている』というクレジットをしっかりつけて話しています。そしてキャスターが『私はこう思う』というのは言うべきでありません」

自分の言葉で語ることと、自分の意見を言うこととの間に、一線を画した自負を持ち続けた「初代ニュースキャスター」だった。

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