深層リポート

横浜発 〝荒波〟乗り越え先進エリアに みなとみらい着工40年

みなとみらい21地区を中心に発展した横浜市の臨海部周辺=令和4年(横浜市消防局航空消防隊撮影)
みなとみらい21地区を中心に発展した横浜市の臨海部周辺=令和4年(横浜市消防局航空消防隊撮影)

横浜市が臨海部で整備に力を入れてきた「みなとみらい21地区」が11月に着工から40年を迎える。バブル崩壊やリーマン・ショックで開発に逆風がふき、計画に遅れが出たものの、企業や芸術など多様な施設が集積し、先進的なエリアとして横浜を牽引(けんいん)する存在となった。ただ施設を建設するスペースがなくなりつつあり、今後は持続的な発展に向けて新たな価値創造が課題となる。

美術館で「幕開け」

9月29日、みなとみらい21地区の一角で、世界最大級となる音楽に特化した施設「Kアリーナ横浜」が開業した。ライブを行ったのは地元出身アーティストのゆず。ライブTシャツ姿のファンでにぎわい、横浜駅からの道中に位置する日産自動車の本社ギャラリーでは躍動感あるゆずの動画が流れた。

整備構想は昭和40年、当時の飛鳥田一雄市長が打ち出した。戦後、横浜は都心部の一部などが米軍に接収されたため復興が遅れ、企業などが東京に流出する状況に直面。造船所や国鉄の操車場などが立地していた同地区で経済や文化、芸術などの拠点を整備し、近接する横浜駅周辺などと一体的に都市機能の集約、充実させることで苦境から抜け出す狙いがあった。

40年前の昭和58年11月8日に同地区に関する区画整理の認可が下り、着工を開始。平成元年には中心部で横浜美術館がオープンした。みなとみらいの幕開けと位置付けられているが、当時から在籍していた副館長の柏木智雄さん(61)は「周りに何もなくて、どうなるんだろうと思った」と赤裸々に語る。

みなとみらい21地区の開発が進む前の横浜市の臨海部周辺=昭和58年(横浜市提供)
みなとみらい21地区の開発が進む前の横浜市の臨海部周辺=昭和58年(横浜市提供)

同地区ににぎわいをもたらしていた横浜博覧会は終了し、パビリオン跡地は更地になった。「雨が降らないと土が舞い、雨が降ると土がびちゃびちゃになるところに美術館はポツンとあった」

完成時期見通せず

出ばなをくじくようにバブルが崩壊。都市計画への逆風が吹く中、横浜ランドマークタワーが平成5年にオープンしたが、テナントはスムーズに入らなかったとされる。当時、市職員として都市計画に携わった一般社団法人「横浜みなとみらい21」理事長、坂和伸賢さん(65)は「バブル崩壊後はみなとみらいの開発があまり進まなかった」と指摘する。

186万平方メートルの同地区の整備は12年に完成する予定だったが先行きを見通せなくなり、20年のリーマン・ショックが追い打ちをかけた。市が市有地に関する開発事業者を公募しても「誰も手を挙げなかった」(坂和さん)。タワーマンションが次々と建設されたが、経済的に横浜を牽引する同地区整備の観点から空き地にタワマンが乱立する事態を避けるため、市は企業誘致などに注力したとされる。

荒波にもまれながらも都市整備は進み、資生堂や村田製作所などの大企業が拠点を設置。市などによると、令和4年時点で同地区に拠点がある事業者は約1900社、就業者数は13万人を超えた。音楽専用アリーナの「ぴあアリーナMM」など芸術・文化関連の施設も次々と誕生した。

同地区のうち土地が利用されている割合である進捗率は約96%に達し、関係者内では同地区の発展に向け新たな一手を模索する動きがある。エネルギー関連産業の拠点や研究機関が集まり、港湾がある利点をいかして、水素エネルギー供給などの拠点になることを目指して今年7月には産学官による「みなとみらい水素プロジェクト」が開始し、今年度中に水素活用の方針を決める。

坂和さんは40年のタイミングを「次の世代の人に『いい街作ったね』と言われるような起点にしたい」と話す。

横浜みなとみらい21 みなとみらい21地区の街づくり事業を行う一般社団法人で、同地区内の土地・建物所有者など約140の会員で構成される。災害対策の計画や公共空間での実証実験などを行いにぎわい創出を図っている。環境事業や音楽イベントの実施のほかに、イノベーション創出のための産学公民で構成された「横浜未来機構」など複数の組織を設立し、運営するなどのエリアマネジメント活動を行う。

記者の独り言 当初の完成予定だった平成12年に横浜で生まれ、幼少期から親しみのあったみなとみらいにはイベントや遊びでよく訪れた。横浜ランドマークタワーや観覧車など大きな施設がある一方、当時はまだ空き地が多く同じ地区でも開発に差があるという印象だったが、新しい施設が続々と誕生する様子を見てわくわくしていた。横浜の中心部であり、広い市内の一部分でもあるみなとみらい。ここから市や県全体に発展が広がることを期待したい。(梶原龍)

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